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山形六日町教会

2024年4月14日

聖書:創世記27章38~40節 ローマの信徒への手紙15章22~33節
「あふれるほどの祝福」波多野保夫牧師

先週の礼拝前に、文翔館の庭で咲き始めた桜を見つけたのですが、一週間で満開になりました。変化の速さに驚かされますが、新年度が始まって既に2週間ほどが経ちました。様々な変化を経験され、あわただしい思いをされたた方も日常が戻りつつあるのではないでしょうか。しかし、変わって欲しいとの願いがなかなか聞き届けられないこともあります。自然災害からの復興であり、平和の回復が進まないとの報道に心を痛めます。苦しむ者と共に主がいてくださいます様に。私たちの願いが聞き届けられます様に祈ります。
さて、説教シリーズ「あなたへの手紙」で読み進めて来ました「ローマの信徒への手紙」も残りわずかとなりました。本日は15章29節でパウロが キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。この様に書き送っていることから説教題を「あふれる程の祝福」としました。 読んでいただいた15章22節以下には「ローマ訪問の計画」と言う小見出しが付けられています。
丁寧に読んで行くことから始めましょう。23節です。 しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していた 働く場所がないとは、仕事が見つからないと言うのではなく、やるべきことを成し遂げたと言う意味です。19節にエルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。とあります。現在のイスラエル、シリア、トルコなど小アジア地方とヨーロッパに渡ってギリシャ、北マケドニアなどの地域をめぐって、キリストの福音を漏れなく宣べ伝えました、と言うのです。
わたしは「自分のやるべきことはやりつくした。」こんなことを一度は言ってみたいと思うのですが、中途半端なことばかりです。皆さんはいかがでしょうか?ヨハネ福音書は十字架上での主イエスの最後の言葉を伝えています。イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(19:28,30)人の罪を負っての十字架での死において、神様のおおいなる愛を私たちに示す、その使命を完全に成し遂げられたのです。
一方、パウロは彼に与えられた使命をこのローマの信徒への手紙1章5節で述べています。わたしたちはイエス・キリストにより、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。彼は与えられたこの使命を「成し遂げた」のでしょうか? すべての異邦人、すなわちユダヤ人以外の者を信仰に導いたのかと言えば、残念ながらそうではありません。彼が大変な努力の末に成し遂げたのは2つの事でしょう。
一つは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝え 各地に教会を建て、そしてその教会を引き継いでくれる伝道者と長老と教会員たちを育てたことです。
もう一つは、それらの教会が健全な信仰に立って歩むようにと書き送った手紙が聖書に編纂され、今わたしたちにも届いていることです。
テモテへの手紙Ⅱに 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(3:16)この様にありますから、パウロが祈りを持って書き送った手紙が聖霊によって用いられ、聖書として2000年後の私たちに神様の福音の真理を伝え 教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をしてくれるのです。
ローマの信徒への手紙に戻りましょう。24節。 イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。パレスチナや小アジア、そしてギリシャと言う地中海の東側に主の福音を伝え教会を建てる仕事は、後継者が育ったことで一応の目途がついた。次は、復活の主が天に帰る際に残された言葉 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果に至いたるまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)この言葉に忠実に、地中海の西の端にあるスペインへの伝道を望んでいたのです。
「波多野先生!」「久しぶりに君ですか、何でしょう?」「復活されたイエス様が40日目に天に帰られ、約束された聖霊が50日目に降って教会が誕生したんですね。」「そうです。」「その教会を迫害していたパウロが、突然クリスチャンになった、あの復活のイエス様との出会いは、天に帰られた時よりもズート後の事でしょう。「地の果てに至るまで福音を伝えなさい。」って言うイエス様の言葉をパウロは聞いてなかったんじゃないですか?」「なるほど、じゃあ君は何で「地の果てまで」って言葉を知ってるの?」「それは聖書に書いてあるからです。でも使徒言行録が書かれたのって、パウロが死んだ後でしょう?」「よく勉強してますね。確かにそうです。だけど聖書の言葉は教会に伝わっていた証言を後になって書き留めたものなんです。ですから生まれたばかりの教会は「地の果てに至るまで福音を伝えなさい。」と言うご命令を大切にしていたのです。そしてそれは回心したパウロにも当然伝えられたのです。実は六日町教会に1880年代にアメリカからやって来た宣教師たちも「地の果てに至るまで福音を伝えなさい。」このご命令に忠実だったのです。私たちもこの志しを大切にしたいと思います。」
24節でパウロは、 イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。と言ってます。送り出して欲しいと言う願いは「行ってらっしゃい。頑張ってね!」と言って見送って欲しいと言うのではありません。私のスペイン伝道のために祈ってください。支えてください。と言う願いです。新しいこと、会社やサークルやNPO法人などを始める際に必要とされるのは、以前から言われて来た「人・金・物」に加えて「情報」と「時」だそうです。担う人材と資金と建物や備品など、それに様々な情報とタイミングや時間だそうです。教会での新しい試みにまず必要なのは祈りです。祈ってみ心を問いつつ進めて行くのです。そしてこの世の中での活動であれば「人・金・物・情報・時」も欠かせません。パウロもスペイン伝道の為に祈って欲しい。様々に支えてくれる協力者となって欲しいと願うのです。資金だけでなく通訳や道案内も必要だったことでしょう。
さて25節から28節では夢の膨らむスペイン伝道の計画から一転して、エルサレムに献金を届けに行くことを告げます。26節。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。エルサレム教会の人たちは自分たちのことを「貧しい人」と呼んでいました。政治・経済・宗教の中心地エルサレムでは神殿に連なる者たちが実権を握っていましたから、新しく誕生した教会に属する者たちは虐げられた生活を送っていたようです。実際、大祭司・祭司長たちを頂点とする神殿関係者は18,000人にも上ったそうです。そんな町でクリスチャン達は貧しさの中で復活のキリストの生き証人として信仰を守っていたのです。
パウロがエルサレム教会への献金を呼び掛けたのは、今のギリシャに位置します、フィリピやテサロニケ、コリントと言った都市に建てられた誕生して間もない教会です。これらの教会が大変厳しい状況にあったことは確かです。実際、六日町教会の120周年誌には創立11年目の明治31年に謝儀が賄えず牧師に辞任を願い出たと言う記事が有ります。この献金は、貧しい者たちが集う教会から、貧しい者たちの集うエルサレム教会への献金だったのです。コリントの信徒への手紙Ⅱ8章には次の様にあります。8:1 兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。2 彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。3 わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、4 聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。
最近はカルト教団の醜い話が公になったことで、献金のことを語るのは難しいのですが、私がかつて出席した教会の礼拝でのことです。献金を献げる際に牧師が「さあ喜びの時だ、みんなで感謝しよう!」この様に言いました。献金を献げることが出来るのは大きな喜びなのです。このことはしっかりと覚えたいと思います。
しかし、神様への献げものは献金だけではありません。「献身のしるしとしてお献げします。」この様に献金の祈りを結んでくださる方がいらっしゃいますが、正にその通りです。神様への献げものはお金だけではありません。様々な奉仕であり、時間であり、得意なことを献げることもあるでしょう。献げることが出来るのは神様が与えてくださる大きな喜びなのです。
エルサレム教会の人たちが自分たちのことを「貧しい人」と呼んだのにはもう一つの意味があります。主イエスのみ言葉です。心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。(マタイ福音書5:3) 私たちも、主と隣人の前でおごり高ぶらない心の貧しさを大切にしたいと思います。
さて、27節では、ユダヤ人以外の教会、すなわち異邦人教会にはエルサレム教会を助ける義務があるのだと言って、主の福音がエルサレム教会から異邦人教会へと伝えられたことを指摘します。この献金がなぜ必要だったかについては様々なことが言われていますが、兄弟愛の表れと理解しておきましょう。パウロは29節で、思い描いている世界伝道計画を語ります。エルサレム教会に募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。
本日の説教題とした「あふれる程の祝福」です。実は「波多野先生。祝福ってなんですか?」と聞かれたら何と答えたら良いのか考えていました。辞書を引いてみると ①幸福を喜び祝うこと。幸福を祈ること。②キリスト教で神の恵みが与えられること。神から与えられる恵み。この様にありました。旧約聖書を開いて見ると、天地創造の5日目に魚や鳥を創造なさった、神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」 とあります。神様の恵みのことばです。
最初に読んでいただいた創世記27章は、ヤコブが父イサクをだまして兄エサウが受けるべき祝福をだまし取ってしまった物語です。38節。「わたしのお父さん。祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください、わたしのお父さん。」エサウは声をあげて泣いた。 だまされたことを知った兄エサウの悲痛な叫びです。37節には次の様にあります。「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。わたしの子よ。今となっては、お前のために何をしてやれようか。」 この物語では大家族制度において、家を治め支配する権利や地位であり財産を長男が引き継ぐ家督相続権を祝福と呼んでいる様です。
新約聖書にはイエス様が子供たちを祝福された記事があります。弟子たちが子供たちを連れて来る人々を叱った時です。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。(マルコ福音書10:14-16)六日町教会のCSでも11月に子供祝福式を行います。子供たちへの豊かな恵みを感謝し生涯に渡っての導きを願う時です。私たちも主の前で素直な者であり続けたいと思います。
さて、パウロは キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになる と言うのですが、何を持って来てくれると言うのでしょうか? あふれる程のキリストの祝福とは何でしょうか? マケドニア州とアカイア州の教会が献げた献金は既にエルサレム教会に手渡してから後の訪問計画ですからお金ではありません。
この問いを置いたままにして31節へ進みましょう。わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。 今まで、主のみ言葉「地の果てに至るまで福音を伝えなさい。」と言うご命令に従って地中海の西の端、スペインに伝道する希望を語り、その際にローマ教会のあなた方と一緒に礼拝し、祈り、食事をして神様の恵みを分かち合う喜びを語っていたパウロが、急にこの様に言いだしたのです。なぜでしょうか? 私たちは、使徒言行録によってこの後パウロにどの様なことが起きたのかを知っています。エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように と彼が願うのは、エルサレム教会の人たちがこれから届ける献金を受け取ってくれます様にとの願いです。なぜかと言えば、異邦人伝道を使命とするパウロに強く反発する人たちがエルサレム教会の中にいたからなのです。この人たちはキリストを救い主として受け入れていたのですが、それでも幼いころから教えられて来た律法の規定を守ることに熱心でした。(使徒21:20,21)割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟,「神様と自分と隣人を愛すること」この神の掟を守ることです。(Ⅰコリント7:19)この様に主の福音を説くパウロは彼らの敵だったのです。 ヤコブを始めとするエルサレム教会の指導者たちは理解してくれたのですが、やがてアジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえると言う事件が起き都全体が大騒ぎになってしまいました。(使徒21:27,30)
ローマの千人隊長はパウロを保護するために逮捕したのですが、なおもユダヤ人たちはパウロの暗殺計画を立てたのです。(使徒23:12-15)その後の紆余曲折を経て、ローマ皇帝に直訴したローマ市民権を持つパウロは囚人としてローマに送られたのですが、その旅は困難を極め、地中海を行く船は激しい暴風に襲われて難破しパウロも海に投げ出されてしまいました。やっとの思いでローマにたどり着いたのですが、それは被告としてローマ皇帝の裁きを待つ者としての訪問だったのです。さらに教会に伝わる伝承によればパウロもまたペトロも、ローマに起きた大火の責任をクリスチャンに押し付けるローマ皇帝ネロによって、西暦60年ころに処刑されたと言われています。スペイン伝道の夢はかなわなかったようです。 15章32節でパウロは、こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように 祈って欲しいと言っています。彼の祈りは聞かれたのでしょうか? 交通の不便な時代に遠く離れたローマを訪問できたという点で、確かにパウロの祈りとローマ教会の祈りは聞き届けられました。しかし、それは決して願った形ではありませんでした。それではその訪問はキリストの祝福をあふれるほど持って の訪問ではなかったのでしょうか?
先ほど、祝福は家督相続される財産であり、恵みだと言うことをヤコブの物語によって聞きました。しかし、パウロはキリストの祝福と言いますからこれは、親から長男だけに受け継がれる財産や権利ではありません。キリストから受け取り、そして隣人や次の世代の者へと受け渡される信仰です。 コリントの信徒への手紙Ⅰ15章3節から5節。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。私たちの罪のために死んでくださった方が復活したこと。そしてこの主イエス・キリストに従う時に、私たちを罪のない者と認めて、永遠の命を与えて下さること。この信仰をローマ教会の人が受け取った時、パウロの訪問はキリストの祝福をあふれるほど持っての訪問になりました。同じ様に、私たちがこの信仰を受け取る時、私たちにキリストの祝福が届くのです。そしてそれこそが山形六日町教会の諸先輩たちが私たちの為に祈ってくれたことであり、私たちに伝えてくれた喜びに違いありません。ですから、私たちもキリストの祝福を隣人に、そして次の世代に分かちたいと思います。 パウロは今も私たちの為に祈っているのです。15章33節。平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。わたしたちも祈りましょう。
私たちの感じる、主の大いなる愛の根拠が、主の十字架と復活の出来事に有ることを知る者です。神様は、「わたしの証人、私の愛の証人」はあなたたちだとおっしゃるのです。折々に聖霊の働きを感じ、主の恵みと愛を証言する。それは礼拝によって始まります。祈りによって始まります。喜びを様々に表すことで膨らみます。教会へと人を案内することで膨らみます。なぜなら私たちは神様に選んでいただいた「復活の証人」だからです。この務めを恐れと感謝を持って担っていく一人一人であり、山形六日町教会でありましょう。祈ります。