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山形六日町教会

2023年7月2日

聖書:サムエル記上8章6~7節 ローマの信徒への手紙13章1~10節
「神に仕える者」波多野保夫牧師

この説教シリーズ「あなたへの手紙」では新約聖書に多くあります手紙を、2023年の世界に生きています私たちに向けられた手紙、神様のみ心を伝える手紙として読み進め、現在「ローマの信徒への手紙」をご一緒に読んでいます。使徒パウロが恐らくコリント滞在中の西暦56年に、ローマの教会を訪問するに先立って書き送ったものと言われています。
前回は12章9節以下を開きましたが「キリスト教的生活」と言う小見出しが付けられていました。愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。パウロは現代に生きる私たちにこの様に述べます。そして、 あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。この様に閉じていました。いかがでしょうか? 
自分の敵を深く愛すことは大変難しいことです。いつもお勧めしている祈りを繰り返しましょう。波多野があなたの敵だとします。「神様、あのイヤな波多野があなたに近づきます様にしてください! アーメン。」 そして何よりも主イエス・キリストが私たちを愛する故に十字架に架ってくださったことを思い起こして、パウロの勧めに従うのです。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

さて、本日与えられましたロマ書13章ですが、小見出しに「支配者への服従」とあります。12章で、言われた「敵を愛しなさい」は、とっても難しいけど大切さは分かりました。主の十字架を思うことで、確かにその通りだと理解は出来ました。しかし、この13章は現代に生きる私たちにとって、理解すること自体が難しい聖書箇所ではないでしょうか? 13章1節に人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。とあります。
辞書で「権威」を調べてみますと、 ① 他の者を服従させる威力。② ある分野において知識や技術が抜きんでて優れていると一般に認められ信頼されていること。この様にありました。パウロが言うのは ① 他の者を服従させる威力、ですね。服従させるというとそれだけで引いてしまいますが、「秩序を維持する」と言えばパウロの言う意味に近づくでしょう。教会において権威を持つのは主イエスお一人ですが、教会が「秩序を維持して」み心に添う働きをなしていくために、私たち改革長老教会の伝統にあっては、教会総会で選挙された長老と教師が集う長老会が主の権威を預かって教会を治めます。アメリカの建国者たちはこの制度に学んだと言われています。
さて、13章の1節から7節で言われている権威あるいは権威者は直接的にはローマ帝国であり、ローマ皇帝を指していますが、パウロは言います。その権威はすべて神によって立てられたものだから 逆らう者は、神の定めに背くことになり、自分の身に裁きを招く。支配者を恐れるのは悪を行っている者だけだ。権威者は神に仕える者として武力を用いて悪を退治する。だから、良心のためにも、権威に従うべきだ。ピラトの様にローマの属国を治める者には貢をおさめ、ローマ帝国には定められた税金をキチンと収めなさい。権威者は神に仕える者なのだから。いかがでしょうか? 大変楽観的な国家論が述べられている様に思われますが、まずは「ローマの信徒への手紙」を書いたパウロについて、彼の生涯を追うことから始めます。
研究者によって違いがあるのですが週報の裏面にパウロ年表を記しました。西暦30年頃にキリストの十字架と復活の出来事があり、その50日後に聖霊が降って教会が誕生しました。ダマスコに向かう途中のパウロが主にお会いし回心したのが33年。現在のトルコに当たります小アジア地方にバルナバと共に主の福音を伝えた第1回伝道旅行が47年から49年。第2回伝道旅行が50年から52年。この時初めてヨーロッパに福音が伝えられ、フィリピ、テサロニケ、コリントなどの町に教会が生まれたのです。そして53年から56年の第3回伝道旅行の際にコリントからこの「ローマの信徒への手紙」を書き送りました。当時の地中海沿岸地方は、紀元前27年にアウグストゥスがローマ皇帝の座に着いてからの200年間はパクス・ローマーナ、「ローマの平和」と呼ばれるローマ帝国の絶頂期にありました。もちろん属国とされていたユダヤを始め各地において、圧政に対しての不満はたまっていたのですが、他の時代に比べれば人々は平和と繁栄を享受していたのです。
ローマは多神教の世界でしたから、皇帝は自分も神々の一人だと宣言し、礼拝を強制したのですが、唯一の神を信じることを曲げないユダヤ人だけは例外とされていました。当初キリスト教はユダヤ教ナザレ派と呼ばれており、この面では得をしていたのです。教会が誕生してから25年程が経ったころ、パウロや使徒たちを始めとする伝道者たちの活躍によって、ユダヤ教からの妨害を受けながらも、各地に教会が誕生し、内側に様々な問題を抱えつつも教会は成長して行ったのです。
一方、神様に選ばれたユダヤ民族の尊厳を守るとして熱心党と呼ばれる熱狂的な集団がローマ帝国に武力で立ち向かいました。ローマに協力する者、ローマに税金を納める者も裏切り者として、暗殺などのテロ行為を繰り返したのです。そんな時代背景にあって、主はある時「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」と問われたのに対してデナリオン銀貨に皇帝の肖像と銘があることから、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」この様におっしゃたのです。教会はテロ行為も辞さないような熱狂的な行動や無秩序を嫌います。その悲惨な結末を知っているからです。その結果、明らかな不正を解決するのに極めて長い年月を必要とすることもあります。例えば奴隷制度が隣人を愛することからかけ離れていることは明らかですが、イギリスやアメリカで奴隷が解放されたのは19世紀のことです。何千年もの時を必要としました。しかも奴隷制度はその形を変えて現代においてもなお存在するとも言われます。隣人を自分の様に愛する世界が実現することを願っていますし、その為に用いられる山形六日町教会でありたいと思います。
パウロがこの手紙を書いたのが西暦56年だと申しました。当時100万人の人口を抱えていたローマが大火事によって全滅したのは64年7月。皇帝ネロはその原因をキリスト教徒の放火だとして、激しく迫害しペトロやパウロもこの迫害によって殉教したといわれています。この手紙が書かれた8年後のことです。
話しは13年ほど遡って手紙をローマに送る5年程前のことです。使徒言行録16章に依りますと、第2次宣教旅行の際、彼はフィリピで騒動に巻き込まれて牢屋に入れられてしまったのですが、自分がローマの市民権を持っていることを告げると、役人たちが平謝りした出来事がありました。さらに手紙を書き送った直後、エルサレム教会に献金を届けに行ったのですが、その際、暴動に巻き込まれて神殿で逮捕されてしまいました。(使徒21章)しかし、この時もローマ帝国の市民権を用いて皇帝に上訴することが出来ました。56年当時、不満はあるものの「ローマの平和」が保たれていたことは事実ですし、彼がローマ市民としてのメリットを感じていたことも事実でしょう。
では、自分にとって都合が良いから「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」この様に言ったのかと言うと、それはあり得ません。パウロが自分の都合だけで「権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。」とまでいうことは考えられません。
実際ローマ帝国の権威に対して従順だった人の話です。逮捕されて総督ピラトの前に連れ出された時です。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」 ローマ総督にはユダヤ人を裁き死刑を言い渡す権限がありました。主はポンテオピラトの持つ権威に対して従順だったのです。(ヨハネ19:10)その数時間前、イスカリオテのユダの裏切りによってゲッセマネの園で大祭司の手下が逮捕に来た時です。剣を抜いて打ちかかる弟子の一人に向かっておっしゃいました。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26:52) 主イエス・キリストがローマ総督や大祭司などこの世の権威に対して従順だったその理由を確認してから先に進みましょう。フィリピの信徒への手紙2章6節7節です。キリストは、神の身分でありながら、人間と同じ者になられ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。そうです。キリストは父なる神に従順であるが故に、結果として皇帝や大祭司など、この世の権威に対して従順だったのです。キリストご自身も、使徒たちも、またその教えを受け継いだ教会も無秩序を嫌います。「熱心党」と呼ばれた革命集団の行動は無秩序を招き、無秩序は人の思いに支配され神様のみ心を見えなくするのです。
高校の教科書にジョージ・オーエルと言うイギリスの作家が1945年に発表した『動物農場』と言う小説があったことを覚えています。農場の動物たちの間で、人間によって働かされ虐待され搾取されていることへの不満が高まっていました。そんな動物たちは革命を起こし人間どもを追い出して「四本足はみんな平等」と言う理念を掲げて「動物農場」を宣言しました。動物たちは助け合いながら喜んで生き生きと働き農場を運営しました。しかし、時間が経つにつれて、指導者となったナポレオンと言う名の豚が権力を握り、特権を持って他の動物たちを支配し、最終的には豚たちだけが特別な地位を持つようになってしまいました。農場のスローガンも「四本足はみんな平等で優れている、ただし豚はより優れている。」この様に変わっていました。 主イエス・キリストの愛が支配していない革命の末路が描かれています。パウロは13章1節で 今ある権威はすべて神によって立てられたものだから私たちは従順であれと言います。
ここで第2次世界大戦下で極限状態に置かれたドイツの教会がたどった歴史を見ましょう。1933年にヒトラーが率いるナチス党が政権を握りました。上に立つ権威となったのです。1934年多くの教会がナチス支持に回る中、ドイツ福音主義教会は、カール・バルトが中心になってまとめた「バルメン宣言」を採択しました。「バルメン宣言」は、イエス・キリストのみをこの世の支配者と明確に述べ、ナチスへの盲目的服従を否定したのです。この宣言の趣旨に立って反ナチスの立場をとった人たちは、残念なことに少数派だったのですが「告白教会」を設立しました。その後1939年にヨーロッパで戦争が始まり、太平洋戦争は1941年12月の真珠湾攻撃で開始され、歴史は悲惨な第二次世界大戦へと入って行ったのです。
20世紀最大の神学者と言われますカール・バルトは1922年の著書『ローマ書』の中で述べています。【 我々は国家や法律や教会や社会と言う大きな既に存在する権威に突き当たるが、法に徹底的に服従する「合法主義」も、自分が正しいと信じ通す「革命主義」もとらない。人間は誰も他の人に比べて自分が正しいと主張する権利を持っていない。そもそも人の主張する正義がキリストの正義であったためしがない。今存在する秩序はいずれ衰退し倒壊する。それは神がなさるのであって革命家ではない。しかし、革命家が否定されたことは合法主義・秩序主義の正しさが認められたことではない。彼らもまたキリストの前に額づく必要がある。真の革命は神によってのみなされるからだ。そしてそれは無秩序にではなく秩序を持って行われる。神は無秩序を嫌われる。権力者も、またそこに悪を見出す者も共に謙虚であることが求められる。 】バルトは、国家への従順がキリスト教徒の義務であり、神の御計画の一部として位置づけられると述べます。国家は神から与えられた権威を持つ存在であり、社会の秩序を維持し、悪に対抗する役割を担っている。しかし、国家が神の摂理に反する行動を取る場合には、クリスチャンは神に従うことを優先しなければならないと指摘するのです。この著作はナチスが政権を取る11年前、バルメン宣言の12年前に発表されました。パウロの「ローマの信徒への手紙」が皇帝ネロの大迫害の8年前であったことと同じ様に、教会が置かれた最悪の状態に先立って書かれたものです。
それでは厳しさが増した中で教会はどの様に行動したのでしょうか? ヨハネの黙示録が書かれる契機となったドミティアヌス帝による激しい迫害の後に書かれたと言われます テモテへの手紙Ⅰ2章1節2節です。2:1 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。2 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。どんな為政者に対しても隣人のための祈りを欠かさない様に求めてるのです。
「ローマの信徒への手紙」に戻りましょう。13章8節から10節です。互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。神様が望まれている世界、私たちクリスチャンが生かされている世界、それは愛が支配する世界です。上に立つ権威としての国家が私たちを愛し、私たちが国家を愛する。これが上に立つ真(まこと)の権威を持った方、主イエス・キリストが望まれる幸福の方程式です。
最後に戦争が激しくなった時点でのドイツ教会の姿を見ます。残念なことに、多くの教会がナチスの主張したアーリア人の優位性、すなわちユダヤ人排斥を支持していました。その中で反ナチスの立場を明確にした「告白教会」の中心にボンヘッファー牧師がいました。ユダヤ人の亡命を助ける運動を行っていたのですが、大戦末期の1945年にヒトラー暗殺計画にかかわったとして処刑されました。もちろん彼はこのローマ書12章の「神の怒りに任せなさい」13章の「上に立つ権威に従いなさい」マタイ福音書の「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」これら聖書の言葉を深く心に刻んでいました。1942年の手紙が残されています。「私たちは理念と良心に従い、必要な行動を取らなければならない。今直面しているのは、人間の尊厳、自由、そして良心の問題なのだ。私たちはヒトラーの支配から解放されるために闘わねばならない。」ボンヘッファーは「隣人のために罪を引き受ける者がこの時代には必要だ。」と言い、自らがその罪を負おうとしたのです。彼が革命を目指したのでないことは明らかです。私たちにこの13章がしっくりしないとすれば、それはこの世の権威と言うものを見るにつけ、それが本当に神によって立てられているのかどうか、この点に疑問を感じるからなのではないでしょうか?主イエスは「私たちを愛し抜いてくださる」と言う神様のみ心のゆえに、この世の権威に対して従順でした。そして主イエスは神様のみ心をいつも問う祈りの人でした。だとしたら、私たちも祈ることから始める必要があります。
ボンヘッファーの神学校時代の師ラインホルト・ニーバーの有名な祈りの言葉です。「神よ、変えることのできないことを静けさと共に受け入れるための恵みをください。変えるべきであることを変えるための勇気を与えてください。そして、その違いを見分けるための知恵をください。」私たちも祈りましょう。