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山形六日町教会

2023年5月7日

聖書:詩編149編 ヨハネの黙示録12章1節~14章20節
「刈り取って下さい」波多野保夫牧師

説教シリーズ「わたしはすぐに来る」の第10回です。このシリーズでは新約聖書の最後にありますヨハネの黙示録を読み進めています。西暦90年代の前半にキリスト教徒はローマ皇帝ドミティアヌスによる大迫害を受けました。その時代にエーゲ海に浮かぶパトモス島に幽閉されていたヨハネに与えられたキリストの黙示を書き留めて、アジア州にある7つの教会に送った巻物、これがヨハネの黙示録です。
黙示とは「覆いをとる」と言う意味で、隠されていた神様だけがご存知の秘密、「終末」に関してのできごと、すなわち主イエス・キリストの再臨とこの世の悪に対するクリスチャンの最終的な勝利が書かれています。私たち2023年に生を与えられている者にとってすでに起こったこと、すなわち「真の神」主イエス・キリストが「真の人」として来てくださったクリスマスの出来事。神様のお考えをみ言葉と大いなる業によって伝え、救い主であることを明らかにしてくださったこと。十字架と復活の出来事において私たちの罪を贖い永遠の命への望みを確かにしてくださったこと。教会の誕生の為に聖霊を送ってくださったこと。そして日々私たちの為にとりなしの祈りをささげてくださっていること。私たちはこれらを聖書の証言と主の日の礼拝、さらに日々の営みの中で働かれる聖霊によって知るのです。さらに私たちの未来にあります人類の歴史が行き着くところ、「終末」に関して、これは福音書の中でイエス様も語っていらっしゃるのですが、このヨハネの黙示録は「終末」に的を絞って神様のご計画を伝えています。
しかし、このヨハネ黙示録には大きな問題があります。それは厳しいローマ帝国の迫害によって苦しむ教会を励ますために、終末における勝利の約束が語られていることです。教会に宛てた巻物が敵の手に渡りさらなる迫害の原因になってはいけませんので、当時のクリスチャンには良く分かるものの、敵にとっては意味不明な様に書かれていることです。
旧約聖書が語り伝えている出来事を下敷きにしたり、象徴的な表現を多く用いたりしていますので、現代の私たちには極めて難しい書となっています。このような背景のもと、前回第9回では8章6節から11章19節と言う長い聖書箇所を一気に読み進めました。今回も細矢長老には14章14節から20節だけを読んでいただいたのですが、12章1節から14章20節までを取り上げます。様々な象徴的な表現を用いて神様のお考えが示されていますから、聖書を広く読むことで、正しくみ心を聞き取りたいと思うからです。ぜひ後ほど本日の聖書箇所全体を読んでいただきたいと思います。
まず12章に至るまでをたどることから始めましょう。新約聖書452ページを開いて、順に追って頂くと良いでしょう。
1章でヨハネは、自分が見た幻を巻物に記してアジア州にあるエフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送る様に命じられました。(1:11) 
2章と3章ではアジア州の7つの教会が抱える問題の指摘と対応への評価が語られ、耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。この言葉で閉じられています。 山形六日町教会は神様からどの様な評価を受けるのかと思わされ、私たちがこの2023年度に集中して聞く神様のことばが思い浮かびます。週報の表紙にあるエレミヤ書33章6節です。見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。
4章では天上の礼拝の様子が語られ、5章では巻物を封じている7つの封印を解くのに相応しい方は、神様と共におられる小羊以外にはあり得ないことが明らかになり、天使たちの賛美が天上の礼拝で響き渡ります。「屠られた小羊は、 力、富、知恵、威力、 誉れ、栄光、そして賛美を 受けるにふさわしい方です。」(5:12)私たちも礼拝においてこの賛美を共にしたいと思います。
6章から8章5章で小羊は神様から受け取った巻物の6つの封印を順に解いて行きます。旧約聖書の出来事をなぞって、主の十字架と復活の時から終末に至るまでに地上で起こる様々な混乱が表わされています。戦乱や飢餓、災害などですが、2023年5月7日もこれらの渦中に置かれていることを知ります。
そして、最後に解かれた7番目の封印から7つのラッパが出てきて、それらは、8章6節から11章にかけて順に吹かれていくのです。ここでは、出エジプト記を下敷きにした戦乱や自然災害が起こります。11章では二人の預言者が登場しますが、彼らは主の十字架と復活の証人であり、神様のみ心を世に宣べ伝える教会なのです。11章7節では一匹の獣が現れてこの二人を殺してしまいました。教会が出会う様々な困難の象徴です。私たちが経験したコロナ禍や礼拝出席者の減少、高齢化であり働き人の不足などもそうです。そしてこの11章は、7番目のラッパが吹かれて天使と長老たちの言葉で閉じられます。「この世の国は、我らの主と、 そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」「今おられ、かつておられた方、 全能者である神、主よ、感謝いたします。大いなる力を振るって統治されたからです。」 そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った。今日から終末の時に至るまでに、様々な望ましくないことが起きることでしょう。しかし私たちは契約の箱、すなわち「どんな時でも私たちを愛してくださる」と言う神様の約束を、見続けることが出来るのです。私たちがどんな時にあっても希望を持ち続けることが出来る根拠がここにあるのです。
ですからパウロは言うのです。5:16 いつも喜んでいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(Ⅰテサロニケ)ここまで長い振り返りをしてきました。
本日与えられた12章から14章です。12章1節2節。12:1 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。2 女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。ここまで巻物を送られたローマ帝国の迫害に苦しむ7つの教会について語って来たのですが、ヨハネは目を天上に向けます。女から生まれた子は、「真の人」として来てくださった主イエス・キリストです。一方、女はマリアと解釈することも可能ですが、十二の星の冠を被っていたとあるのは、イスラエルの十二部族であり、苦しみの中でメシアを待ち続けてきたイスラエル民族と言う解釈も有力です。
3節。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。創世記では蛇としてアダムとエバを誘惑した悪魔でありサタンは、ここでは竜として登場します。いつの時代にあっても主に立ち向かう闇の力の本質はおどろおどろしいのです。
8節。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。天上での戦いに敗れた悪魔は地上にやって来ました。私たちにとって甚だ迷惑な話ですが、逆に言えばやがて私たちが行く天上には悪魔はいません。主イエスの愛が満ち満ちている天の国が私たちには約束されているのです。
13章1節。わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。この獣は竜によって力を与えられました。「悪魔が増えた、力を増した」と解釈しておきましょう。地上に現れた新たな獣は様々な方法で神様を冒涜します。その中に確実にローマ帝国の名があったのですが、その名前はますます増えて現代に至っています。
3節。この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。しかもこの獣は一旦死んだ様に見えたにもかかわらず元気をとりもどしたのです。ルカ福音書によれば、30歳になった主はヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けた後、荒れ野の中で40日に渡って悪魔から誘惑を受けられました。空腹を覚えると悪魔は言いました。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」聖書の言葉を用いた主の答えです。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」「『あなたの神である主を拝み、 ただ主に仕えよ』と書いてある。」「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、 あなたをしっかり守らせる。』と書いてある。」悪魔も聖書の言葉を用いて人を悪に誘うことに注意が必要です。私たちは信仰告白に基づいて聖書を正しく読むのです。聖なる神様は愛の神様です。
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。ルカ4:1-12) そしてルカによる福音書4章13節。 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。 主イエスは悪魔に勝利されました。しかし、その悪魔は元気を取り戻して憎い主イエスを十字架へ送った時には勝利の美酒に酔ったことでしょう。三日間はです。
ヨハネの黙示録13章3節。この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。悪魔の誘惑は執拗に私たちを襲って来ます。現代はまるで悪魔に支配されている様にさえ思われます。それだけではありません。
11節。わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。悪魔が増えてしまいます。しかも小羊、すなわちキリストに似ているのです。
14節から16節。更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。偶像を礼拝することが強要され、すべての者に刻印が押されたと言います。私たちは獣の像を拝むことなんかありませんし、変なハンコを額に押されることもありません。
しかし、これはいつも申していますが、私たちが神様でないものに心を向けるのであれば、それは既に偶像です。心を奪われるのであれば偶像礼拝です。お金や名誉や出世などは分かり易いのですが、悪魔は極度の心配ごと、自分や家族の将来や健康状態なども用いて偶像礼拝へと誘います。しかも悪魔はそれと気づかれない様に私たちの心に入り込み、自分に仕える者の印として刻印を押していくのです。しかし、私たちは悪魔に負けない最高の方法を知っているので大丈夫です。それは悪魔に勝利された方、主イエスの愛で私たちの心を埋め尽くしておくことです。「神様と自分と隣人を愛すること」から外れるのが「罪」だと言っていますが、主イエスの愛で心を埋めてしまえば「罪」を犯しようがありませんし偶像とも無縁です。これは主に従って日々歩んでいくことであり、主の愛の中を歩む人生です。悪魔を礼拝する惨めな人生に引きずり込まれないためには、日曜日ごとに主を礼拝することが欠かせませんし、日々、聖書に接し祈りの時を持つのであれば、私たちの人生は豊かなものになります。これが、私たちを支配しようとする悪魔に対しての最高の悪魔対策なのです。
 
18節によれば、悪魔の刻印は六百六十六です。これが何を意味するのかいろいろな説があるのですがはっきりしません。ヘブル語と数字を関係づけて、皇帝ネロを指すと言う説が有力だそうです。しかし、天地創造が7日でなされたことから7は完全数と呼ばれますが、六六六は完全数に一つ足りない六が並びます。不完全な者のしるしだとも言われます。確かに私たちは不完全な者ですが、悪魔に記しを付けられたくありません。洗礼は私たちがキリストに属する者、クリスチャンのしるしですから、悪魔がしるしをつける場所を無くしてしまうのが一番です。
14章に進みましょう。 また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。キリストに従う十四万四千人のクリスチャンです。14:2 わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。大水のとどろきと激しい雷の音は人を圧倒します。竪琴の音色は人の心を和ませます。クリスチャンの人生にも様々なことが起こるのです。
3節。 彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。キリストに招かれている者は天の国の礼拝の様子を知りことができます。そしてキリストと共に献げる礼拝に集う者には永遠の命が与えられています。
4節5節。彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。理解が難しいことばですが、主は次の様におっしゃっています。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など(マルコ7:20-23)人間の心からから出て来るものこそ、人を汚す。十四万四千人の者たちはこれらと無縁なクリスチャンのあるべき姿を示しているのです。なぜならこれらは「神様と自分と隣人を愛す」ことと相いれないからです。
そして12節。ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。キリストの愛を知る者、恵みをいただいているわたしたちにも忍耐しなければならないことが必ずやあります。
最初に細矢長老に読んでいただいた14章14節以下で、ヨハネは自分の見た最後の裁きについての幻を語ります。また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。 主イエスが収穫の道具を持って地上に来られた時、天使が大声で叫びます。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」 そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。主に従う者に栄光を与えてくださる為の刈り入れ、すなわち最後の審判です。
17節以下にはぶどうの刈り入れが語られます。キリストに従わない者、クリスチャンを迫害する者への最後の審判です。神の怒りの大きな絞り桶に投げ入れられたとあります。今日、私たちの周りには様々な望ましくないことが起こっていますが、歴史の行き着くところ、終末に於いてキリストに従う者に栄光が与えられる確かな約束がこれなのです。
最初に読んでいただいた詩編149編は3000年前に主に従うものが褒め称えた歌です。2000年前復活の証人たちは主を褒め称えました。今日、私たちは主のなさること、主の御計画を褒め称えます。終末の時に至るまで主の愛の内を歩む者としてくださっているからです。時代をこえて終末にまで至る褒め歌、詩編149編をお読みします。149:1 ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。149:2 イスラエルはその造り主によって喜び祝い シオンの子らはその王によって喜び躍れ。149:3 踊りをささげて御名を賛美し 太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。149:4 主は御自分の民を喜び 貧しい人を救いの輝きで装われる。149:5 主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み 伏していても喜びの声をあげる。149:6 口には神をあがめる歌があり 手には両刃の剣を持つ。149:7 国々に報復し 諸国の民を懲らしめ149:8 王たちを鎖につなぎ 君侯に鉄の枷をはめ149:9 定められた裁きをする。これは、主の慈しみに生きる人の光栄。ハレルヤ。祈ります。