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山形六日町教会

2020年12月20日

聖書:イザヤ書53章1~5節 ヨハネの手紙Ⅰ1章1~4節
「クリスマスが明かす真理」波多野保夫牧師

クリスマスおめでとうございます。クリスマスクランツの4本の赤いロウソクが白くて太い真ん中のロウソクを囲んで灯っています。
ロウソクの光は、世の光として私たちの所に来てくださった救い主イエス・キリストを示しています。アドベントの4週の間、一本ずつ光を増してきました。毎年嬉しさが増す思いでこの時期を過ごしています。
周りにあります針葉樹の緑は、終わることの無い命、私たちが与る永遠の命の象徴だそうです。いつの頃からかこの様な風習が生まれたのでしょうか? もちろんイエス様が誕生されたベツレヘムに針葉樹は無いでしょう。そもそも聖書にアドベントクランツもクリスマスツリーも出てきません。実はイエス様の誕生日が12月25日だとも書かれていません。
キリスト教が北方に住んでいたゲルマン民族に伝えられたのは4世紀の中頃でした。北の国の長く厳しい冬にあって、冬至は太陽の力がその日を境に増してくる日です。彼らは真の光として来られた方、私たちに新しい命を与え、愛の中を歩む希望を与えてくださる方、主イエス・キリストの誕生をそこに見たのです。素晴らしいアイディアだと思います。
素晴らしいアイディアと言えばもう一つ。今年から、クランツの4本のロウソクの中心に太く白いローソクが加わったことです。主イエス・キリストの象徴でしょう。山形六日町教会が主イエスを中心に歩む姿勢を示す素晴らしいアイディアだと思います。
週報に記しました、ヨハネによる福音書1章1節から5節をお読みします。1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2 この言は、初めに神と共にあった。1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
クリスマスの礼拝で良く読まれる聖句です。1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 特徴的なのは「ことば」の字が「言の葉」ではなく「言う」と書いて「ことば」と読むことです。「言の葉」の「葉っぱ」は端っこの意味で、大して重要でないこと、あるいはたくさんあることを意味しており、「言の葉」と書く「言葉」は人の心に浮かぶ様々なことを口に出す「口先だけ」のこと、あるいは噂話と言った意味があるそうです。
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2 この言は、初めに神と共にあった。 ヨハネの言う「言」は主イエス・キリストです。神様のお考えを余すところなく私たちに伝えてくださったからです。その神様のお考えは「お前たちを愛しているよ! どんな時でも!」 主イエスは神様のお考えを余すところなく、私たちに理解できる方法で示してくださった方です。1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2 この言は、初めに神と共にあった。1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
ヨハネは主イエスをこの様に伝えるのです。もう少し正確に言えば、聖霊はヨハネを用いて聖書を書かせ、その聖書を通して私たちに主イエス・キリストを証ししてくださっているのです。
さて、司式の寒河江長老に読んでいただいたヨハネの手紙Ⅰ 1章1節以下です。1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――「私はこれから、命の言 主イエス・キリストについて伝えます。」との宣言です。この世に来られた主イエス・キリストは私たちに本当の命、永遠の命、さらに生きる意味を与えてくださる神様なのです。ヨハネの証言を聴きましょう。
初めからあったもの ヨハネ福音書は「初めに言があった」と語り始めました。科学者は138億年前のビッグバンによって宇宙が生じたと言います。現象としてはそうなのでしょう。一方、創世記は天地創造の意味を語ります。神様はその愛の故に、宇宙とそこにある全てのものを創られたのです。
ヨハネは、父なる神とみ子イエス・キリストは初めから、天地創造の前から共におられたと述べることから始めます。ここで疑問に思われるかも知れません。聖霊はどうなっているのでしょうか? 後ほどご一緒に告白します「使徒信条」は「父なる神を信ず、主イエス・キリストを信ず、聖霊を信ず。」と告白します。私たちの神は三位一体の神です。
安心してください。創世記は、1:1 初めに、神は天地を創造された。1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。この様に語り始めており、聖書全体で三位一体の神を証言しています。私たちは聖霊の働きによって、はじめて父なる神とみ子イエス・キリストを理解できます。ですからヨハネは聖霊の存在、聖霊の働きを大前提として語っているのです。
彼は主イエスと共に旅する3年間に、命のことばを聞き、さまざまな常識を超えた不思議な出来事に立ち会いました。さらに復活の主に手で触ったのです。その彼は、十字架と復活の出来事から半世紀以上が経って、この手紙を書いている時も、福音を語る主の声が聞こえ、御業を行われる姿が瞼に浮かび、そして主の温もりを手に感じることが出来ました。それらすべての体験を通して、主イエスこそが「命の言」だと証言するのです。
2節 この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――御子の誕生を感謝し祝うクリスマスに相応しいメッセージです。
3節 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。ヨハネはここで「交わり」について述べます。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。 すべての「良き交わり」の基本には父なる神と御子イエス・キリストとの交わりがあります。先ほど申しました様に、ヨハネは聖霊の働きを前提として語っていますから、これは三位一体の神様の交わり、父と子と聖霊の交わりです。本質を一つとなさる三位一体の神の交わり。何か難しい神学のテストの様ですが、実は簡単です。それは愛に基づいてお互いに信頼し合う関係です。たとえば、イエス様は神様と聖霊を愛し絶対的に信頼なさっていたというわけです。
私たちにとって欠かすことの出来ないものは、この愛に基づいた三位一体の神の交わりに加えていただくことです。私たちとはキリストを知る一人一人であり、教会です。
あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。キリストが支配なさる教会での交わりは、神と交わりから始まり、主にある兄弟姉妹の交わり、さらに隣人との愛の交わりへと広がって行きます。なぜなら、神様が愛だからです。ヨハネはこの交わりに加わる素晴らしさを手紙にきました。その手紙が聖書として、私たちに届けられているのです。教会を通して三位一体の神と交わり、愛の神との交わりによって喜びが満ちあふれ、そしてキリストにあって永遠の命に至ることが約束されています。
既に気づかれたことでしょう。ヨハネ福音書、ヨハネの手紙共に、天使も羊飼も占星術の学者たちも登場しません。ページェントに欠かせない羊や馬、宿屋さん、さらにヨセフとマリアも登場しないのです。
実はヨハネ福音書とヨハネの手紙は、マタイ福音書やルカ福音書よりも後に書かれたと多くの神学者は言います。ですから、ヨハネは言うでしょう。「何時どこで何が起きたのかは、マタイやルカに聞いてくれ。私があなたに伝えたいのは、クリスマスの意味、即ち御子の誕生が私たちにどの様にかかわるのか、この一点なのだ。」
先週、教会学校の礼拝でお話しした際、子供たちに「クリスマスって皆さんにとってどんな日ですか?」と聞くことから始めました。多くの方に同じ質問をするとどうなのでしょうか? 12月に入るとクリスマスシーズンに突入します。そのキーワードはどうやら、セール、プレゼント、ツリー、ケーキ、さらにサンタさんでしょうか。2000年前の主イエス・キリストの誕生や賛美の歌声、あるいは教会の礼拝はあまり話題にならないようです。「教会さんもクリスマスやるんですか?」なんて言う冗談も聞こえてきます。
先日、ある林業組合が幼稚園にもみの木を贈り、園児たちが飾りつけをしている映像がニュースで流れました。園児たちは「楽しかった」「きれいだった」と感想を述べていました。大いに結構なことですが、そのツリーのてっぺんに星はありませんでした。
教会学校や千歳認定こども園の子供たちは、クリスマスの真理に触れることが出来て幸せだなと思いました。星に導かれた博士たちは幼子イエスを礼拝して帰って行きました。ですからツリーの星は礼拝への招きの印です。ロウソクや光り輝く飾りは世の光として来られた方の印です。常緑樹のもみの木は変わることの無い命、永遠の命の印です。
プレゼントは、本来私たちが神様から主イエス・キリストをいただいた喜びを分かつもの。そして私たちが送る最高のプレゼントは、いただいた最高のもの、即ち信仰を人に伝えること。いつも申し上げます。「信仰は人にあげると減るのではなく増えるのです。」 サンタさん、4世紀の聖ニコラウス司教は貧しい人々を助けました。クリスマス・ケーキですが、この様な声が聞こえそうです。「コロナ禍にあって外出しないで、家で家族とあるいは恋人と美味しいケーキを食べる。バックグラウンドに「きよしこの夜」とか「もろびとこぞりて」なんかがYouTubeで流れているといいですね。」 セール、プレゼント、ツリー、ケーキ。黒雲の立ち込める昨今です。そこに明るさを見出すのであれば決して悪いものではないのですが、モッタイナイ限りです。聖書は真の光を証ししているからです。
ヨハネの手紙Ⅰ1章5節。 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
世の中の多くの人がセール、プレゼント、ツリー、ケーキ、さらにパーティーもありました。そして優しいおじいさん、サンタさんに留まっているのであれば、モッタイナイ限りです。神様の目から見れば、真の光や永遠の真理を知っている、教会であり、私であり、あなたの怠慢なのでしょう。さらなる聖霊の導きと力添えを祈りたいと思います。
ヨハネが私たちに語り伝えるクリスマス・メッセージを纏めてみましょう。
1. 私たちの救いは神様からの一方的なプレゼントです。
 「わたしたちの救い」と言いました。救いとは「罪」からの救いであり、苦しみ、嘆き悲しみ、そして試みの時にあって「救い」が必要です。神様に「救い」を求め祈ることは自然です。そんな祈りには、神様が最も良いとお考えになる答えが与えられます。ある時は素直に感謝し、ある時は受け入れるのに時間がかかる答えですが最良の答えです。 「罪」からの救い。現代においてこの必要を感じる人は少数派です。「罪」とは「主を愛し、自分と隣人を愛する」ことから目を背けることです。簡単に言えば自己中心的な生き方でしょう。それでは人が真の平安、真の幸せを得ることは困難であり、真の平和も無理でしょう 。クリスマスの出来事、神様が人となって地上に来てくださった出来事は私たちの「罪」を贖うため、すなわち「罪」を私たちに代わって償ってくださるための出来事でした。これは2000年前の、しかもただ一回だけの出来事ですが、私たちはクリスマスを毎年祝います。なぜでしょうか? それは未だに「罪」を犯す自分がいるからです。「神様と自分と隣人を愛しきれない」あるいはそこから離れてしまう自分がいるからです。そして、そんな私を愛し続けてくださる方をまた新たにお迎えする。もう少し正確に言えば愛し続けてくださる方のもとに立ち返るのです。その時、主は喜んで私を迎え入れてくださる。放蕩息子の譬えがはっきりと教えてくれます。「命の言」である救い主が私を受け入れてくださる、その喜びを分かちあう、これがクリスマスプレゼントの由来です。私たちは神様の素晴らしいプレゼント、独り子が来てくださり共にいてくださるというプレゼントを知っています。ですから御子を救い主と信じる信仰を家族と隣人へプレゼントしたいと思うのです。
2. 神様は私たちが神様との豊かな交わりに入ることを願ってらっしゃる。
1章3節4節 わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。神様の愛は私たちに迫っています。そして神様は私たちと愛の関係において親しい交わりを持ちたいと願っていらっしゃいます。なぜなら神様と強い関係を持ち続けることが、悪魔の誘惑、即ち自己中心的な生活におちいらない唯一の方法だからです。クリスマスはこのことを私たちに強く思い起こさせる時です。礼拝招致で読んでいただいたヨハネ福音書3章16節。 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。かつてモーセはホレブ山で神にお会いした時、顔を覆いました。「神を見た者は死ぬ」と伝えられていたからです。その神がクリスマスの日に人として地上に来られ、多くの人に語り、不思議な業をなさり、弟子たちと共に過ごされました。
ヨハネ福音書6章46節47節。 46 父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。 キリストとの交わりによって、私たちは神様の御心を正しく知るのです。そして私たちは神様との正しい関係、神様を父と呼ぶ愛の関係にキリストを通して入る様にと招かれています。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。と聖書にありました。「命の言葉」である独り子がこの世に来られた事は、神様が私たちとの愛の関係を強く望まれている事の証拠です。ですからクリスマスは私たちがなすべきことを新たに覚えさせます。全ての人が自己中心的な生き方を悔い改めて神様に立ち返り、愛に満ちた平和な人生を歩むことを望まれる神様です。その神様は私たちを通して福音を知らない人にご自分の愛が届くことを望んでいらっしゃる神様です。これこそが、「クリスマスが明かす真理」なのです。恵みに満ちたクリスマスを感謝し、主のみ心を行う者となりたいと思います。大勢の方にステキなプレゼントを届けたいと思います。祈りましょう。