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山形六日町教会

2021年9月12日

聖書:出エジプト記4章12~16節 テモテへの手紙Ⅱ4章19、22節
「くれぐれもよろしく」波多野保夫牧師

「説教シリーズ気概を示す」の28回目です。旧約聖書エステル記のヒロイン、ペルシャ帝国クセルクセス王の妃(きさき)になったエステルで始まった、このシリーズでは、一部の例外を除いて、毎回聖書に登場する女性を取り上げて、その信仰に裏付けられた気概を見てきました。
旧約聖書では一番人気と言われますルツ、新約聖書ではマリアという名前を持った数名の女性たち。
主イエスの母、マリア。マグダラのマリア、ベタニアに住んでいたマルタの妹マリア。聖書にはその名が語られない女性もいました。サマリアの井戸端で真昼間、主イエスにお会いした女性もその一人です。
 
さて、本日のヒロインはプリスカです。彼女の名前は新約聖書に6回、夫のアキラと共に登場します。ただし、そのうち使徒言行録での3回はプリスキラと愛称で記されていますが、そのすべてから使徒パウロとの深い関係が読み取れます。関連する聖句を週報に記しておきました。
夫婦そろって熱心なクリスチャンであり教会に仕えたことが分かります。オシドリ夫妻と言えば平和で豊かな感じがしますが、いつの時代にあっても、信仰を守り通すことは決してたやすいことではありません。 さてこの夫妻ですが、名前の順序がプリスカ、あるいはプリスキラとアキラであったり、アキラとプリスカであったりします。男性優位社会に有って女性の名前が先になっていること自体、彼女の働きは大きかったのでしょう。
いずれにしろ二人が信頼し合って主に仕えていたこと、そして使徒パウロを支えたことを読み取れば十分です。 使徒言行録 16章以降はパウロの第2回伝道旅行での出来事を伝えています。小アジア地方での宣教を考えていた彼は、聖霊に導かれてマケドニア、今のギリシャへと渡りました。
週報に記した使徒言行録18章は その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 と語り始めますが、これはアテネでの伝道がうまく進まなかった その後 です。人の知恵を重んじるアテネです。
人々はパウロが語る 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った のです。その後、失意のパウロはコリントの町へ向かいました。
使徒言行録18章2節以下をお読みします。 2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
アキラとプリスキラ夫妻の支えによってパウロは安息日ごとにユダヤ教の会堂に行って、ユダヤ人やギリシャ人に主の福音を語ることが出来たのです。この夫妻はクラウディウス帝の時にローマを追われたとあります。
クラウディウスは紀元41年から54年までローマ皇帝の地位にありました。当初は堅実な政治を行ったのですが、次第に妃(きさき)や側近たちに惑わされるようになり、多くの元老院議員や市民を処刑するに至ったことが記録されています。
1世紀の歴史家が書いた「皇帝列伝」と言う本に紀元49年ごろ「ユダヤ人はキリストに煽動されて絶えず騒ぎを起こしているので、皇帝はローマから追放した。」この様にあるそうです。
当時世界の中心と言われたローマには大勢のユダヤ人が住んでいました。ユダヤ人キリスト者とユダヤ教徒の間に争いがあった結果、ローマの治安を乱すとしての追放だったと言われています。その結果、コリントに逃げて来たこの夫婦はローマを追放される以前から既に信仰を持っていたのでしょう。
福音を伝える第2回伝道旅行の途上にあった使徒パウロは、キリストに従う者として知られていた、アキラとプリスキラ夫妻を訪ねたのです。
教会が制度として整っていなかったこの時代、使徒を始めとする伝道者たちは、信仰を持った有力者の家に招かれたり、自分で仕事を持って生活費を賄っていました。
この夫妻はパウロを自宅に招き、パウロと共にテント造りをしました。この間、彼らはパウロから正しい福音、主イエス・キリストが救い主だとあらためて教えを受けたに違いありません。
二人の信仰が鍛えられ、正しい福音の理解に近づいたのは確かです。パウロは1年半に渡ってコリントの町で福音を語り伝えました。その彼に主は言われたのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」(使徒18:9,10)
そして、ユダヤ人たちの反発を受けながらも、誕生したばかりのコリント教会では大勢の異邦人が福音を受け入れたのです。コリント教会の誕生です。アテネでの伝道がうまくいかずコリントへやってきたパウロ、皇帝の命令でローマから追放されたアキラとプリスキラ。この出会いの中に、神様のご計画を見ることが出来るのではないでしょうか。
聖書は二人がその後もパウロの伝道活動を支えたことを伝えます。使徒言行録18章18節。 パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。 
ローマ皇帝の迫害からコリントへと逃れ、テント造りで生活の基盤を築いた夫妻はパウロを助ける為に同行したのです。
エーゲ海を船で渡って、今のトルコに位置しますエフェソの町に着いたのですが、パウロは二人をエフェソに残して、一人でエルサレムを訪問し、さらにアンティオキアの教会に戻り、第2回伝道旅行を終えています。
それから数年が経ちました。パウロはアンティオキア教会で第3回伝道旅行の準備を進め、プリスキラとアキラ夫妻はエフェソの町で再び生活の基盤を築きました。
当時のテントはヤギの毛を織り毛皮をなめして造ったので、技術を持った者は、それで生計を立てることが出来たのです。そんな夫妻の家はユダヤ人クリスチャンと共に主日ごとにイエス・キリストを礼拝する家の教会となっていました。
ここで、このエフェソの町にやって来たもう一人の登場人物、アポロに注目します。使徒言行録18章24節以下です。24 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。25 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。今のエジプトに位置しますアレキサンドリアは地中海沿岸都市の中でも、文化、商業、学問の中心地として最も栄えた都市の一つです。
大勢のユダヤ人が住んでおり、このアポロは旧約聖書に精通したクリスチャンで、しかも雄弁家でした。しかし、彼は大きな問題を抱えていたのです。25節26節。 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。ユダヤ教の会堂で大勢のユダヤ人に向かって、「 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされた。」(マタイ11:5)ことを弁舌さわやかに語り、正確に教えていたのですが、その教えの内容が問題でした。確かに間違ったことは語らないのですが、アポロはヨハネの洗礼しか知らなかった。とあります。このヨハネは30歳になった主イエスにヨルダン川で洗礼を授けたあのバプテスマのヨハネです。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。この様に述べて、イエス・キリストのために道を整える役目を担っていました。ヨハネ自身は らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。とありますから禁欲的な生活をして、人々に罪の悔い改めを求めたのです。
エフェソの町にやって来たアポロはこのバプテスマのヨハネの信仰に留まっていたのです。バプテスマのヨハネがヨルダン川で多くの人に授けていたのは、悔い改めの洗礼です。自分が十戒を始めとする律法に従い切れないこと、即ち「罪」を反省して神様に近づく、その決意を表す洗礼です。
私たちの受ける洗礼ではもちろん「罪」を悔い改めます。「神様と自分と隣人を愛する。」ことと隔たりがあったこと。「罪」を悔い改めます。しかし、それだけではありません。
主イエス・キリストに従うことで私たちの「罪」が贖われ、私たちを「罪」のない者と見なして、神様の愛の中を歩むものとしてくださる洗礼です。アポロには、この大切な永遠の命につながる救いの理解が欠けていたのです。主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。ここにアポロの問題があったのです。続く使徒言行録18章26節が大切です。 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。アポロの説く主イエスの話を聞いたプリスキラとアキラは、そこに主の福音を告げる説教としての不完全さを聴き取ったのです。そして、アポロに正確な神様のお考えを教えたのです。アポロは旧約聖書は良く学んでいたのですから、主イエス・キリストを通して示された神様のお考えを正しく知る下地は確かでした。 例えばクリスマスの出来事ならば、イザヤ書9章5節以下。ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。
主の十字架の出来事ならば イザヤ書53章5節以下。 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。6 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。  アポロは知っていたことでしょう。大切な知識です。 
それではアポロに欠けていたこと、プリスキラが説明した「神の道」とは何でしょうか? 彼らが具体的に何を語り聞かせたのか、聖書は記していません。しかし、ヒントは有ります。パウロが彼らの家に滞在し一緒にテント造りの仕事をした日々において、パウロから正しい福音の理解について聞く十分な時間があったのです。 ですから、聖書に記されたパウロの手紙の中にアポロに説明したことを見出すことは適切です。
ローマの信徒への手紙4章24節以下をお読みします。 わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。25 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 
バプテスマのヨハネの求めた悔い改めて神様に立ち返ることは大切です。「罪」と無縁だったイエス様もまずヨハネから洗礼を受けられました。しかし、そこに留まるのであれば、人の努力を求めるだけです。アポロに足りなかったこと、そしてプロスキラとアキラ夫妻がパウロの教えをアポロに伝えたこと。それは信仰義認、私たちが信仰によって神様に正しい者として認めていただけることです。信仰によって神様を父と呼び、主イエスを友と呼ぶ喜びの人生が与えられることなのです。 二人の話を聞き入れたアポロ、彼も立派です。文化、商業、学問の中心地アレキサンドリア出身で、各地をめぐってイエスについて語って来た実績のある 聖書に詳しい雄弁家 です。
名誉もプライドも持っていた彼が、プリスキラとアキラ、彼らは一介のテント職人の信徒です。その二人に信仰の不十分さを指摘され、それを受け入れたのです。現代ならば、有名な神学者に私や皆さんが、あなたの語っている福音はこの点が聖書の語ることと違うのではないか、不十分なのではないかと言う様なものです。勇気がいります。
使徒言行録18章27節28節。 それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。28 彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。イエスは救い主だ! アポロは確信を持って語ったのです。主の福音を力強く伝える伝道者の誕生です。この夫妻の勇気は正しい信仰によるものだったのですが、彼らの信仰はどのようにして鍛えられたのでしょうか? 
先ほども申しました。使徒パウロと共に多くの時間を過ごしたことです。家の教会で共に礼拝したことです。そして、パウロの伝える主の福音に素直に心を開いたことです。
では私たちはどうするのでしょうか。聖書に親しみ祈り、そして信仰の友と一緒に礼拝に集うのです。これに勝ることはありません。
使徒パウロが書き送った手紙が聖書に編纂されています。その聖書を通して、私たちを愛してやまない神様のお考えを知ることが出来ます。その聖書を解き明かすのが説教です。アポロの説教の欠けた部分にプリスキラとアキラは気づき、正確に神の道を教えました。それをアポロは感謝して受け入れました。
今、私たちの日本基督教団の教会では聖書を規範とする信仰告白に基づいて聖書を解釈し、説教がなされます。
そして説教が信仰告白から外れていないか監視する務めを長老会が担っています。ですから、長老会は現代のプリスキラとアキラなのです。説教者と共に長老会を祈りの内に支えていただきたいと思います。 週報にローマの信徒への手紙 16:3以下を記しました。パウロは言います。 キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。4 命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。5 また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。
永遠の命とまでは行きませんが、聖書にしるされたプリスカとアキラ夫妻は2000年の間人々の心の中で生きています。私たちはプリスカとアキラの様にはなれないかも知れません。しかし、良き礼拝者であること、礼拝に出席できないときには礼拝を覚えて祈ること、これは可能です。
そして必ず天の国にあります命の書に名前が記されるのです。聖書の最後にあります、ヨハネの黙示録3章に主に従う者について記されています。お読みします。3:4彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。6 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。
主に従う者には勝利が約束されています。私たちはプリスカとアキラの様にはなれないかも知れません。しかし、良き礼拝者であること、礼拝に出席できないときには礼拝を覚えて祈ること、これは可能です。礼拝を共にする喜びの人生を歩んで行きましょう。
最初に読んでいただいたテモテへの手紙Ⅱ4章22節です。 主があなたの霊と共にいてくださるように。恵みがあなたがたと共にあるように。これが、私たちがお互いのために祈り合う祈りではないでしょうか。祈りましょう。