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山形六日町教会

2023年1月8日

聖書:詩編43編3~4節 マタイによる福音書2章1~18節
「私も行って拝もう」波多野保夫牧師

先週の日曜日に「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。
主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。」 この詩編96編のみ言葉を聞くことで始まった2023年ですが、1週間が経ち日常が戻りつつあるのではないでしょうか。「一年の計は元旦にあり」ということで皆さんに「主に喜んでいただける元旦の計」をお勧めしたのですが、書き留めていただけたでしょうか? 新しい計画を立てて前進して行くに際して「神様と自分と隣人を愛しなさい。」この神様の御命令に対して、自分の2022年はどの様だったのかを思い起す必要があるのですが、まず2022年にいただいた恵みを思い起してください。この様にお話ししました。
山形六日町教会がいただいた恵みは多くありますが、収束を見せないコロナ禍にあって、休むことなく礼拝を続けられたことを数え上げないわけには行きません。皆さんそれぞれがいただいた恵みを思い起した上で、「神様と自分と隣人を愛しなさい。」この神様の御命令に対して、自分の2022年はどの様だったのかを思い起すのであれば、悔い改めの祈りに導かれます。
そして、あなたの「2023年の計」へのヒントであり導きとして、エフェソの信徒への手紙5章15節以下をお読みしました。「光の子として生きる」と小見出しが付いています。5:15 愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。16 時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。17 だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。
私の「元旦の計」にはいくつかの項目があるのですが、一つは聖書通読完了です。まだ書き留めていない方がいらっしゃったら、一週間遅れでかまいません。是非今日の午後「2023年の計」を立てていただきたいと思います。
さて、今朝教会に入って来られた際、クリスマスツリーやクランツがそのままだったことを不思議に思った方もいらっしゃったのではないでしょうか。例年クリスマス礼拝とイブ礼拝が終わると片付けていました。そもそも山形は後片づけが早いと言う印象を持ってきました。花笠の際に踊り手たちの後ろに掃除部隊がついて行ってすぐに七日町通りは元通りの姿に戻ってしまいます。
実はアドベントの初日に始まります教会の暦(こよみ)、教会暦によりますと、1月6日の公現日までを降誕節として御子の誕生を祝い感謝する期間とされています。ギリシャ正教会などが属します東方教会と、ローマカトリック教会やそこから分かれたプロテスタント教会が属します西方教会とでは公現日の意味合いが異なるのですが、教会暦やそれに伴う典礼色を大切にするカトリック教会では、東方の学者たちが献げものをもって主を礼拝した日としています。
改革長老教会の伝統では、クリスマスとイースターとペンテコステ以外、あまり教会暦にこだわりを持ちません。これは、ユダヤ教が天地創造の際に神様が七日目、すなわち土曜日を安息日・礼拝の日としているのに対して、キリスト教は主の復活の出来事を覚えて日曜日を礼拝の日としています。改革長老教会の主張は、週ごとの礼拝が復活の記念なのだから、等しく大切であり大切さに差はないと言うのです。
私は青年時代に教会学校の教師をしていました。ある時、教案誌に「毎日がクリスマス」とあったのを覚えています。朝毎に心を開いて主イエス・キリストをお迎えするのであれば、毎日がクリスマスと呼ぶにふさわしいという訳です。 
確かに聖書に主イエスの誕生日が12月25日だとは書かれていません。青年時代ですから「しめた!毎日サンタさんが来てくれる。」と思ったわけではないのですが、妙に記憶に残りました。しかし、これはチョット理屈に走り過ぎている様です。
ではなぜ教会暦ではクリスマスの2週間も後に学者たちがやって来た日としているのでしょうか? 子供たちが演じてくれるページェントのフィナーレでは、馬槽(まぶね)の中に眠る赤ちゃんイエス様を囲んで、マリアとヨセフ、羊飼いと羊たち、天使たちやお星様と宿屋さん、そして占星術の学者たちがそろって賛美します。
マタイ福音書が学者たちの訪問の物語を伝えているのですが、「ヘロデ大王がどの様な人物だったのか」から始めましょう。彼は紀元前73年に誕生し紀元前4年に亡くなっています。目先の利く彼はローマ皇帝アウグストゥの信認を得てユダヤの王に任命され40年近くその地位を保ちました。カエサリアの港を整備して交易を盛んにしたり、さまざまな公共施設を整備しました。大飢饉の際には私財を投げうって食料や衣類をエジプトから手に入れて配ったりもしました。 
そんな彼の最大の業績は、バビロン捕囚後に建てられたことで、こじんまりとしていたエルサレム神殿を大改修したことです。十字架を前にしてエルサレムに入城された主イエスが境内を出ていかれる時に、弟子の一人が言いました。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
この時、ヘロデ大王は既に亡くなっていたのですが壮大な改修工事は続いていたのです。そんな彼の抱えた最大の問題点、それは猜疑心が異常に強かったことです。特に晩年になって、努力と才覚によってローマから与えられた地位を脅かすのではないかと、義理の弟に始まって妻や息子たちを殺してしまったのです。人には長所と欠点があることを思わされますが「神様と自分と隣人」を愛し続けることから逸(そ)れるのであれば、幸せな人生からも逸れてしまうことを強く思わされます。
尋ねて来た学者たちから「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 
この様に問われた時に、その強い猜疑心にスイッチが入りました。知恵の働くヘロデ大王です。すぐに軍隊を派遣して探させると逃げてしまうかも知れません。「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出したのです。しかし、彼らに裏切られたことを知った彼は、2章16節。人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 大変残酷な出来事ですが、二歳以下の男の子 としていることから主イエスの誕生から一年以上が経っていることが分かります。長くなりましたが、これが顕現日をクリスマスの2週間後としている理由です。
さて、2章1節は 占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来たと語り始めています。東の方からとありますが、エルサレムの東にはヨルダン川が流れており、その東側は砂漠です。さらに東に行けば、現在のイラクの首都バクダッドがあり、そのそばにかつてユダヤ人の先祖が奴隷として連れて行かれたバビロンがあります。恐らく学者たちは文明の発達したバビロンから砂漠を越えて1000キロに及ぶ道のりをやって来たのでしょう。
「占星術の学者たち」と訳されているギリシャ語マゴイはマゴスの複数形です。マゴスは賢人、教師、聖職者、医師、占星術の学者、星の観察者、夢を解く人、予言者、魔術師など大変広い意味を持って用いられ、古代における最高の知識人であり一級の科学者を意味します。彼らは異教徒ですが、最高の知識人ですからバビロン捕囚の地で預言者イザヤが語ったメシア預言を知っていたとしても不思議はありません。そんな彼らが星の観察によって救い主の誕生を知ったのですから、マゴイを「占星術の学者たち」と翻訳したのは適切です。
では、彼らの見た星は何だったのでしょうか? 古文書に残された記録に加え、現在の天文学では2000年前の星の運航を計算によって知ることが出来ます。3つの可能性があるそうです。紀元前5年3月から4月にかけて中東地域で観測された超新星。紀元前7年5月22日と10月5日と12月1日の夜明け前にやぎ座で起こった土星と木星の惑星会合。紀元前12年から13年にかけてのハレー彗星の接近だそうです。
実際に何を見たのかは分かりませんが、彼らの解釈は正しかったのです。確かにメシア、しかも世界の救い主はこの時に誕生されたのです。献げものが「黄金」「乳香」「没薬」の三つだったことから、「3人の博士」と言われますが、聖書原典にはマゴスの複数形マゴイが用いられているだけで、2人以上だったとしか分かりません。従者を従えていただろうとも言われます。彼らが携えて来た宝の箱の中身は大変高価な物です。ぺージェントの際の黄金は大型聖書程の大きさがありますから、20キロ以上の重さになり現在の価格で2億円近くになります。良きサマリア人の譬えで、追いはぎが旅人を襲ったように古代の旅は大変危険なものだったのです。
マタイ福音書2章を整理しましょう。登場したのはヘロデ大王、エルサレムの人々、祭司長たちや律法学者たち、そして占星術の学者たちでした。学者たちのもたらしたニュースはヘロデ大王の猜疑心と狂気のスイッチを入れるに十分でしたから人々は何が始まるのか不安になりました。祭司長や律法学たちは旧約聖書にある預言者ミカの言葉から「メシアはベツレヘムで誕生する」と直ちに答えたのですが、何の行動も起こしません。聖書の知識は大切ですが、それだけでは空しいのです。カール・バルトと言う神学者は、正しく神様のみ心を知り行動へ駆り立てられる、すなわち神様の愛の中にある幸せな人生を歩むために次の3つが不可欠だと説きました。「三位一体の神様の啓示」です。これは歴史であり、日々の営みであり、祈りを通してご自分の愛を示してくださることです。預言者や使徒や初代教会が伝える証言を集めた「聖書」です。さらに聖書を教会の信仰告白に立って解き明かす「説教」。この3つです。そしてこの3つが交わる場所、それがこの週ごとの礼拝なのです。
占星術の学者たちに戻れば、9節10節には、彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。とあります。最初に読んでいただいた詩編43編は1000キロに及ぶ厳しい砂漠の旅を続けてきた彼らの思いを大変良く表している様に思われます。 43:3 あなたの光とまことを遣わしてください。彼らはわたしを導き 聖なる山、あなたのいますところに わたしを伴ってくれるでしょう。4 神の祭壇にわたしは近づき わたしの神を喜び祝い 琴を奏でて感謝の歌をうたいます。神よ、わたしの神よ。しかし、この詩はバビロン捕囚から解放されたイスラエルの人たちが真の光に導かれて、聖なる都エルサレムに帰って行く際に読んだ詩なのですが、学者たちは異教徒です。そんな彼らが 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。とあります。彼らは主イエスを礼拝し高価な贈り物を献げました。さらに「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。のです。この占星術の学者たちの訪問の出来事は何を意味しているのでしょうか? 彼らは東の国の神々に仕える者であり、天地を創造された神様を信じる者ではありません。しかし、天体観測に長けていた彼らは空に起きた異常な現象をユダヤ人の王、すなわち救い主の誕生の知らせだと理解することが出来ました。 500年前にイザヤなどの預言者がバビロンに残した言葉を知っていたからでしょう。私はここに130年に及ぶ山形六日町教会の働きと千歳幼稚園、千歳認定こども園の100年に及ぶ働きへの希望を見るのです。この異教の地山形にあって、神様がこの働きをきっと用いてくださるに違いないとの希望です。さらに、マゴスと呼ばれる彼らは、夢の意味を解き明かす能力を持っていたことで「ヘロデのところへ帰るな」とのお告げを素直に受け止め従ったのです。 しかし、占星術は、星の運航や配置を観測してそれによってこの世の出来事を占うものですし、夢には様々なことが現れます。現代の大脳生理学は記憶を整理しているのだとも言いますが、分からないことが多くあります。
使徒言行録13章には地方総督を神の言葉から遠ざけようとしていた魔術師エリマが登場してパウロと対決しますが、彼もマゴスです。現代の感覚ではマゴスは相当怪しい職業と見なされるでしょう。そんなマゴスたち、マゴイを神様が東の国から呼び出されたこと。彼らは主にお会いして大いなる喜びに包まれたこと。主を礼拝し献げものをしたこと。神様のお考えを理解してヘロデとの約束を守らずに帰国したこと。聖書が語っています。確かです。しかし、この後この学者たちは主なる神に従う者となったのでしょうか? そして、お会いした主イエス・キリストの福音をバビロンの地に伝えたのでしょうか? 聖書はなにも語っていません。私は、彼らが献げた高価な贈り物がどうなったのかが気になります。マリアとヨセフは夜に慌てて子供を連れてエジプトに逃れたのですが、その道は決して安全な道ではありません。1年程のベツレヘム滞在中に懇意になった人に贈り物預かってもらったのかもしれませんし、エジプトでの逃亡生活に役立ったのかもしれませんが、聖書はなにも語っていません。
福音書記者マタイが伝えることは、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、ヘロデの死を告げたこと。ヨセフが幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来たこと。そしてガリラヤ地方のナザレという町に行って住んだことです。続く3章は30才の主イエスがヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けたことへと飛んでいます。
マタイが私たちに伝えたいことは「全てが神様のご計画の下にあること。そした神様の愛を信頼して生きること。なぜならそれは主の十字架の出来事でハッキリと示されているのだから。」ここに尽きるのです。今日の聖書箇所でマタイが伝えたいことは、どの様にして神様のお考えであり導きを知るのかということです。占星術の学者たちは東方で星を見て救い主の誕生を知りました。東方で見た星が先立って進み幼子のいる場所へと導かれました。「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがありました。ヨセフは夢に現れた天使によって、幼子を連れてエジプトに逃げるように告げられました。夢に現れた天使によってヘロデの死が告げられ帰国を促されました。夢でお告げがあり、ガリラヤ地方のナザレという町に行って住みました。
それでは私たちはどの様にして神様のお考えであり導きを知るのでしょうか? 先ほどバルトを引用して次の様に申しました。【三位一体の神様の啓示です。これは歴史であり、日々の営みであり、祈りを通してご自分の愛を示してくださることです。預言者や使徒や初代教会が伝える証言を集めた聖書です。さらに聖書を教会の信仰告白に立って解き明かす説教。この3つです。】確かに神様は「夢」や「祈り」を用いてみ心を示してくださることがあります。しかし、見間違いや聞き違いを防ぐためにもこの3つは欠かせません。そして、その中心に位置するのが正にこの週ごとの礼拝なのです。
最後になりますが、ページェントのフィナーレで全員が集って賛美する場面は、聖書が伝える出来事からすれば正確さを欠くようです。しかし、主が最も喜ばれる姿がここにあるのではないでしょうか。“もろびとこぞりて むかえまつれ”です。この輪の中に、ヘロデ大王と祭司長や律法学者、さらに不安を抱いた町の人達も加わる日が待たれます。その為の一歩として、「あなたの2023年の計」のリストに、信仰を伝えたい方の名前を加えてください。そして折々にその方の為に祈ってください。主が喜んで下さるに違いありません。主が導いてくださるに違いありません。祈りましょう。