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山形六日町教会

2022年11月13日

聖書:詩編40編2~5節 ヨハネの黙示録3章20~22節
「イエス様との食事」波多野保夫牧師

山形学院高校ハンドベル部の皆さんが、神様を賛美する「神は我が力」を献げてくれました。神様は苦しみの嵐が吹きすさぶ時であっても私たちの避けどころとなって守ってくださる。この様な強い信頼を込めた賛美の曲です。
ご一緒に主のみ言葉を聞いて行きたいと思います。実は、先日顧問の中村先生から、ハンドベルは教会から始まったと伺いました。あまり意識したことが無かったので少し調べてみたところ、18世紀1700年代の初めころにイギリスの ロバート・コーとウイリアム・コーと言う兄弟が真鍮の板からたたき出してベルを作り、それに一平面上だけを動く様にしたクラッパーを取り付け、さらに音程を調節した今日のハンドベルの原型を作ったのだそうです。
なぜ彼らはハンドベルを作ったのでしょうか? どんな必要があったのでしょうか?当時、イギリスの町々の教会には塔があり鐘楼が設けられていました。日曜日には礼拝の開始を告げる鐘の音が町中に鳴り響き、家族そろって礼拝に向かったのです。結婚式や葬儀を告げる役目も担いました。腕時計などない時代です。普段の日には畑で働く人たちに、時を告げるためにも用いられました。
有名はミレーの『晩鐘』という絵では、夕暮れ時に遠くの教会から聞こえてくる鐘の音を聞きながら、神様が与えてくださったその日一日の恵みに感謝の祈りを献げる。そういった農夫夫妻の姿が描かれています。教会から流れてくる鐘の奏でるメロディーは人々の心を神様に向けさせる大切な役目を担っていたのです。教会の塔には音程の違った5~12個ほどの鐘が置かれており、それを下の階からひもを引いて回すことでクラッパーが鐘に当たって音を出します。
先ほどの演奏でも一つのベルからは一つの音程の音しか出ません。練習を積んだメンバーが心を合わせて演奏する必要があります。教会の鐘も同じでした。神様に心を向けさせる役目を担う演奏です。長い時間をかけて練習することが必要だったのですが、2つ問題がありました。
一つは騒音問題。あの大きな鐘の音、しかも上手とは言えない音を長い時間聞かされるのはたまったものではありません。
もう一つは寒さ対策です。鐘楼の下の階とは言っても風が容赦なく入ってきます。イギリスの冬は厳しいのでたまったものではありません。
この二つの問題の解決策として用いられるようになったのが、今のハンドベルでした。メンバーが心を合わせて演奏するための練習をしっかりすることが出来るようになったそうです。そして独自の道を歩み始めたハンドベルは、数も増えて多くの音をカバー出来るようになって、管楽器や弦楽器やオルガンと合奏される様になりました。特にクリスマスやイースターなどにその喜びの賛美を奏でるようになったのです。1700年代の中頃にはアメリカに伝えられ、讃美歌の伴奏など広く用いられたハンドベルは、1970年に名古屋のミッションスクール金城学院中学で音楽を教えたケリー宣教師によって日本に伝えられたとありました。演奏者たちが心を合わせて美しいメロディーを奏で、聞く者の心を主イエス・キリストの愛へと導くハンドベルの演奏は、正に教会で生まれ教会ではぐくまれて来た歴史を持っているのです。
心を合わせ、思いを一つにしての演奏から聖書の言葉が思い起こされます。2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。(フィリピの信徒への手紙)あらためて心を合わせる大切さに気づかせてくれたハンドベル部の皆さんに感謝します。
さて、本日の礼拝はハンドベルの奏楽で始まりましたが、ここに置かれています私たちの聖書は、主イエス・キリストが誕生される前の世界を伝えます旧約聖書、それもこの世界の創造を伝えます創世記から始まっています。1章1節以下をお読みします。1:1 初めに、神は天地を創造された。1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神様は光を創造なさることから始めて6日間で世界の全てを創られました。この様に言うと、「キリスト教ってずいぶん非科学的ですね。Wikipedia には「宇宙は非常に高温高密度の状態から始まり、それが大きく膨張することによって低温低密度になっていった。時空の指数関数的急膨張後に相転移により生まれた超高温高密度のエネルギーの塊がビッグバン膨張の開始になる。その時刻は今から138.2億年(13.82 × 109年)前と計算されている。」こう書いてありますよ。」今日では多くの科学者が認めている「宇宙はビッグバンで作られた」と言う理論ですね。恐らく実際に起きた現象はビッグバンなのでしょう。しかし、この理論は何でそんなことが起きたのかについては全く語りません。
創世記は天地創造の意味、本来的に神様の愛が満ちている宇宙が生まれた意味を語っています。ですから聖書と科学は矛盾するのではなく、お互いが補い合って素晴らしい神様のご計画を語るのです。私たちが自然を大切にし、お互いを大切にする必要性を語っているのです。
さて、説教の前に献げてもらった讃美歌「神はわが力」は、天地を創造なさった神様が、どんな時であっても私たちを愛し守ってくださることを賛美する曲でした。週報によれば、この後、讃美歌「まきびとひつじを」の調べに合わせて献金をささげます。主イエスの降誕、クリスマスの喜びを讃美する曲です。聖書の中ほどにありますヨハネによる福音書1章1節以下はクリスマスによく読まれる聖書箇所です。1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2 この言は、初めに神と共にあった。1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
私たちは「ことば」を用いて自分の考えや思いを伝えます。言葉は「いう」という漢字に「はっぱ」という漢字を重ねますが、聖書は「いう」という漢字一字で「ことば」と読ませています。実はこれはギリシャ語から日本語に翻訳した人たちの素晴らしい知恵なのです。葉っぱは必要な養分を作ったり、私たちに酸素を与えてくれる大切な働きをします。しかし、秋になれば美しく輝いた後、役目を終えて枯れてしまいます。
聖書がここで 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。という「ことば」とは、神様のお考えそのもの「いつでも変わることなく、みんなを愛しているよ」というお考えそのものを表している方、主イエス・キリストのことを「ことば」と表現しているのです。ですからやがて役目を終える「葉っぱ」という漢字を使わなかったのです。
イエス様は神様の愛のメッセージそのものなのです。十字架と復活の出来事は、そのことをハッキリ示してくれます。ですから教会のシンボルは十字架なのです。
さて、この聖書が語る愛の物語は2000年たった2022年11月13日では終わりません。今、神様の御許にいらっしゃる主イエス・キリストが再び地上に来られて裁きを行って下さり、すべての悪を滅ぼしてくださる希望の時、終末と呼ばれますが、その希望の時を聖書は語るのです。それが何時なのかは神様だけがご存知なのですが、勝利の時はハッキリ約束されています。
この厚い聖書の最後にあるヨハネの黙示録がハッキリと語っています。先ほど読んでいただいた3章20節以下はその終末に向かって、私たちがなすべき備えについてのイエス様のメッセージです。3:20 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。3:21 勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。3:22 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。
ここでイエス様は何を語られたのでしょうか? 実はこれは私たちが幸せな人生を送るためのマニュアル、こうしなさいとの勧めであり、ご命令なのです。コロナの影響で控えざるを得ないのですが、みんなで食事を共にすることは楽しいものです。まして、イエス様と一緒の食事です。どんなにか楽しいことでしょう。しかもその為の条件は一つだけ。心の扉を開いてイエス様をお招きするだけなのです。
心を開いてイエス様をお迎えした2人の話をしましょう。一人目は使徒パウロです。新約聖書の中には彼が書いた手紙が沢山残されていますが、生まれたばかりの教会が発展して行った西暦30年から60年にかけて、各地に主の福音を語り届けて正しい信仰を伝える大きな働きをしました。今、私たちは教会で礼拝を自由に守ることが出来ますが、パウロはイエス様の言葉を伝えるために大変な苦労をした人です。
11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。11:25 鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。11:26 しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、11:27 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(コリントの信徒への手紙Ⅱ)こんな目にあったパウロは言うのです。いつも喜んでいなさい。心の扉を開いたパウロはイエス様がいつも共にいてくださることを知ったのです。
それでは、イエス様を知る以前はどうだったのでしょうか? もともとサウロと呼ばれていたパウロがしていたことです。使徒言行録8章3節 サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。 そんな彼に突然起こったことです。9章1節以下をお読みします。9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。9:3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。9:5 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。9:6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」3節にあります様に、突然、天からの光がパウロを照らしたのです。この光は天地創造の時に神様が「光あれ。」とおっしゃって創られた光であり、クリスマスの時に 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。といわれる「光」すなわち主イエス・キリストです。この主イエス・キリストとの突然の出会いを境に、サウロ、後のパウロはクリスチャンを迫害する者から、クリスチャンとして迫害される者となったのです。心の扉を開けてイエス様をお迎えしたのです。
週報の裏面に印刷されています絵を見てください。ウイリアム・ホフマン・ハントと言う画家が1854年に、このヨハネの黙示録3章20節を題材として描いた『世の光』という絵です。戸口に絡みついたつたや生い茂った雑草は、明らかに人生のしがらみを表しており、戸口に立った主イエスはランプを手にして扉をノックしています。この絵を見てある人がハントに言いました。「実に素晴らしい、これは傑作だ! しかし、一つだけ間違いがある。この扉には取っ手が付いていない。」ハントは答えました。「いえ取っ手はチャント付いています。ただしそれは扉の内側についているのです。」そうです、心の扉は内側から私たちが開けるのです。イエス様は決して扉をこじ開けようとはなさいません。私たちが扉を開けさえすれば、中に入って食事を共にしてくださるのです。
心の扉を開いたもう一人の人です。10年程前に私がSan Diegoの教会で研修を受けていた時です。指導してくれた牧師が別の教会に連れて行ってくれました。教会につくといかついお兄さんたちが続々とやって来ます。実はそれは、San Diego地域の100ほどの教会、企業、団体、学校がスポンサーとなって行っている、ホームレスだった方の社会復帰プログラムの卒業式だったのです。このプログラムは食料と住居を提供するだけでなく、ホームレスの原因となった精神的肉体的問題の解決と社会で自立していくための訓練として、計算、読み書き、怒りへの対処、安定した生活方法、いじめへの対処、親としての心得、お金の管理などの訓練だけでなく、何よりも聖書の学びによって生まれ変わって力強く生きていけることを目標としています。礼拝から始まり卒業証書授与や祝辞が続き、最後に卒業生代表の方のスピーチがありました。「私の父は飲んだくれて薬をやり、やがて監獄へ送られました。残された一家はフードチケットで食いつなでいたのです。私は幼いときにレイプにあいやがて薬・売春に手をそめ、友人をAIDSでなくし、行き着いたのがホームレスでした。そんな私はこのプログラムに参加して、聖書の御言葉に出会ったのです。」 
この様に自分の身の上を語った彼は、最後にコリントの信徒への手紙Ⅱから二か所引用しました。 主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9) そして涙ながらに『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。』(二コリ5:17) この様に続けた彼は「イエス様ありがとー!」と叫んでスピーチを締めくくったのです。会場は総立ちで拍手が鳴り止みませんでした。かつて麻薬に溺れていた彼は、心の扉を開いて主イエス・キリストをお迎えしたのです。
2人を紹介しました。もう一人心を開いて主をお迎えした人を紹介しましょう。皆さんの近くにいる山形六日町教会の人を見てください。イエス様をお迎えした人です。そして私もイエス様をお迎えしました。1966年10月2日の礼拝で、洗礼を授けていただきました。それから様々なことがありました。うれしいこと楽しいこと、たくさんありました。辛いこと悲しいこと、なぜこんなことが?と分からないこと、憤ることもありました。これからもあるでしょう。しかし、私は山形六日町教会の教会員の方々と同じように、いつもイエス様が共にいて下さり愛していてくださることを、特にこの礼拝に集う時に強く感じるのです。
まだ洗礼に至っていない方にお勧めします。心の扉を開いて、「イエス様どうぞ私の人生の中にお入りください。」とお招きしてください。既に洗礼を受けた方はその日のことを思い起してください。主が与えてくださる愛は死の向こう側にまで変わることがない愛なのです。みんなで主の食卓に集いたいと思います。祈りましょう。