HOME » 山形六日町教会 » 説教集 » 2022年5月1日

山形六日町教会

2022年5月1日

聖書:イザヤ書53章11~12節 マルコによる福音書15章37~41節
「イエスに従って」波多野保夫牧師

説教シリーズ「気概を示す」の31回ですが今回で終了します。2020年2月9日の第1回ではシリーズの全体像をお話ししました。その冒頭部分をお読みします。【 以前、アメリカの作家、レイモンド・チャンドラーの言葉を紹介しました。「強くなければ生きられない。優しくなれなければ生きている価値がない。」 なかなかの名言だと思うのですが、クリスチャンにとって「強い」とは、権力や財力、あるいは強靭な肉体を意味するのではありませんし、学校の成績でもありません。もちろんそれらが有って悪いわけではありませんが、私たちをおごり高ぶらせる危険が常にあります。確かに複雑化した現代においてある種の強さは必要でしょう。パウロは言います。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。エフェソの信徒への手紙6章10節です。旧約聖書ヨシュア記には わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。(ヨシュア1:9)この様にあります。私たちクリスチャンの本当の強さ、それは共にいてくださる主に感謝し、依り頼むことにあるのです。 「強くなければ生きられない。優しくなれなければ生きている価値がない。」この名言をはいたレイモンド・チャンドラーは男性ですが、説教シリーズ「気概をしめす。」では、主に聖書に登場する女性の示した気概、すなわち信仰に生きた姿を通して私たちの信仰を見つめ直そうと思います。旧新約聖書の背景にあります2000年前、3000年前のパレスチナ地方は明らかに男性優位社会であり、女性や子供の社会的地位は大変低かったと言われています。しかし、現代に於いては日本の多くの教会、いや世界の多くの教会が女性たちによって支えられている現実があります。私たち山形六日町教会においても多くの重荷を負ってくださっています。私はしばしば「恵まれた女よ、おめでとう!」と口語訳聖書で、天使がおとめマリアに告げた言葉を用いて感謝の意を伝えていますが、現代は国の方針として、男女共同参画社会の構築を目指している時代です。現在、六日町教会の婦人会は活動を休止していますが、これは教会において、男女共同で重荷を負って行こうとの意味を含んだ休会です。旧約聖書にも、また新約聖書にも大勢の女性が登場します。マリアだけでも、主イエスの母マリア、ガリラヤ湖西岸の町マグダラ出身のマグダラのマリア、マルタとラザロの妹、ベタニアのマリア。イエス様の十字架刑に立ち会ったクロパの妻マリア、その他にも数名のマリアが登場します。そんな女性たちの中で一番人気はと言えば、旧約聖書に登場しますルツだそうです。彼女を始めとする女性たちが示す「気概」すなわち「困難や逆境に屈しない、あるいは自ら困難を負っていく」。そんな姿を見て行こうと言うのがこの説教シリーズです。】 この様に申し上げました。
数回の例外を除いて30人ほどの女性たちの示した気概を見て来ました。私に似ている、あるいはこんな信仰を持ちたい。その様に思われた登場人物もあったことでしょう。私たちと同様に強さと弱さ、善意と悪意をもった人間が登場しました。そして聖書はそれを覆いつくす圧倒的な神様の愛を伝えています。
さて、最終回のヒロインはサロメですが、サロメと言えば領主ヘロデの誕生日に舞を舞い、「願うものはなんでもやろう」と誓うヘロデに、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った出来事は、絵画や小説、映画などでも取り上げられて有名ですが、聖書は、「ヘロデの妻へロディアの娘」と伝えるだけでサロメと言う名前は記されていません。まったくの別人です。
今回のヒロイン・サロメは、主が十字架に架けられた時に遠くから見守っていた婦人たちの一人です。福音書は主の十字架と復活の出来事から40~50年後に、それぞれの教会に伝えられてきた主の出来事を書きとどめた書物です。教会の生き証人たちが天に召されて行ったことが一つの切っ掛けになったと言われています。ですから、4つの福音書が取り上げる出来事やその細かい部分、あるいは表現方法には差があり、その全体から読みとることで豊かさがさらに浮かび上がるのです。聖書の謎解きをご一緒に進めその魅力に触れていきましょう。
週報に主の十字架を遠くから見守る婦人たちの様子を記しました。マタイ福音書とマルコ福音書を比べてみると、このサロメがゼベダイの子らの母だと判ります。次にマタイ福音書4章です。イエス様が悪魔の試みに打ち勝ってガリラヤ地方で宣教を始められた頃です。4章18節以下をお読みします。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。 ペトロ、アンデレ、そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネが主の弟子となった場面です。4人とも主の招きを受け入れ、ガリラヤ湖の漁師をやめて従って行きました。ヤコブとヨハネは父親のゼベダイを残して従ったと言うのです。 親不孝者と思えてしまう出来事です。しかし、ゼベダイは息子たちが仕事を放りだして主について行ってしまうというのに、全く反対していません。 恐らくこの頃ガリラヤ地方では、イエスと言う人が今までと全く違った教えを伝えていることが評判になっていたのでしょう。さらに、ヨハネ福音書によれば、アンデレはヨルダン川のほとりでイエス様の話を聞き、ペトロをイエス様の所に連れて行ったとあります。(ヨハネ1:35-40)
ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、さらにパウロ達は突然の招きによって主に従う者となったのですが、皆さんの中でこの様な劇的な経験を持っている方は少ないのではないでしょうか。多くの方は先輩や、友達や家族、そして教会の祈りがあって信仰に至ったことでしょう。子供の頃に千歳幼稚園で蒔かれた種が大人になってから芽を出した話も聞きました。切っ掛けがどうであれ、そこに主の招きと聖霊の働きがあったことは確かです。ですから、どちらが本物の信仰だということは全くありません。主の招きを受けて与えられた信仰によって、罪がない者と見なしていただき、神様の愛の中を歩む人生が与えられている。さらに、永遠の命が約束されている。この事実こそが大いなる恵みなのです。感謝してご一緒に主に従って行きましょう。
さてサロメの子供たち、ヤコブとヨハネですが、彼らはペトロと共に主から特訓を受けました。
マタイ福音書17章1節以下には「イエスの姿が変わる」と小見出しがあります。1節2節。イスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。9節です。 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
主が十字架に架かられる前の晩、12人の弟子たちと最後の晩餐を共にされた後のことです。「ゲツセマネで祈る」と小見出しにあります。 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ26:36-40)

さらに、ルカ福音書には イエスは苦みもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。とあります。この祈りは「神と人を愛し続けた」すなわち「罪」を犯すことが全くなかった私が、なぜ神様から見捨てられなければいけないのか! なぜ人間が犯した罪を私が負わなければいけないのか! この苦しみに満ちた祈りです。主の苦しみを目撃して、それを聖書の証言として私たちに伝えるのはペトロとヤコブとヨハネなのです。
さてサロメですが、息子たちは自分と夫を残して、主イエスに従って出て行ってしまいました。しかし、主イエスはエルサレムへの旅を始められるまではガリラヤ湖周辺で宣教活動をなさっていたので、彼女は出かけて行って、息子たちが付いて行った方の力ある言葉を直接耳にし、力ある業を直接目にする機会があったのでしょう。 エルサレムへの旅を始められた主イエスに従い、世話をする婦人たちの仲間に加わったのです。
そんなある日のことです。週報にマタイ福音書20章20節以下を記しました。20節21節です。そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。 イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」 ここには息子の幸せを願う母の姿があります。主の言葉は神様の愛に満ちたものでしたし、癒しの力も持っていらっしゃる。サロメも多くの民衆と同じように、この方こそ救い主に違い無いとの思いを深くしていました。「エルサレムに行ってローマの縄目からイスラエルを開放し、ダビデ王の様になってくださるんだ。救い主に自分たちはおそばで奉仕しているのだ。」そんな希望に満ちた喜びの日々だったことでしょう。主イエスが 後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。(マタイ20:16)とか、エルサレムで十字架に架けられる(マタイ20:17-)と言われようが、そんなことは耳に入りません。自分の知りたくないことには耳を塞ぎ心を閉じる、いわゆる「正常化バイアス」が働いていました。サロメは失敗したのです。
しかし、この失敗は、サロメとその息子たちだけのものではありません。一番弟子と言われたペトロもまた同じ失敗をしました。ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」 主の答えは 「新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」(マタイ19:27-30)
ペトロは最後の晩餐のあとオリーブ山に行く際に言いました。「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません。たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。(マタイ26:33,35)そして彼は「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。」のです。ペトロの失敗です。
ここまで、特に訓練された3人の弟子の不甲斐なさと、サロメの身勝手さを見て来ました。4人とも主のお考えを理解することなく、自分たちの思いが実現することを願ったのです。いかがでしょうか? これは自分と関係ない話でしょうか? 彼らの様に、神様にこの世の利益を露骨に求めることは少ないかも知れませんが、何でこんな祈っているのに聞いて下さらないのだろうか。あるいは、こんなに奉仕しているのに、こんなに時間やお金を献げているのに、あの人よりも。こんな思いが心をかすめることはないでしょうか? 問題にしたいのはそのことのあるなしや、良し悪しではありません。そうではなくて、この時主イエスがおっしゃった言葉をどの様に聞くのかと言うことです。
週報に記してあります。20章25節以下です。「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。サロメとヤコブとヨハネの失敗に対して、イエス様がおっしゃった言葉です。それでは、この言葉を聞いた弟子たちはその意味を理解したのでしょうか?
ゲッセマネで主が祭司長の手下たちにとらえられた時です。26章56節には、そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。 とあり、すでにお話ししたように、この後ペトロは大祭司の中庭で3回主を知らないと言ったのです。要するに、弟子たちは主の言葉を全く理解していませんでした。
それでは、サロメはと言えば、最初に市川長老に読んでいただいたように、十字架の主イエスを他の婦人たちと一緒に見守っていました。この婦人たちはサロメが犯した「自分の息子の出世を願い出る」失敗を責める集団ではなかったのです。それだけではありません。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。(ルカ23:55-24:1)彼女たちは主イエスを深く愛し続けたのです。
それではペトロ、ヤコブ、ヨハネはどうだったのでしょうか? 使徒言行録は語ります。あの醜態をされけだしたペトロは主の十字架と復活の出来事を通して、神様のみ心、即ち神様の愛の本質を知りました。ヨハネ福音書3章16,17節。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
ペンテコステの日聖霊を受けて誕生した教会の中心にペトロはいました。しかしそれはこの世での出世とは無縁のもの、仕えられるためではなく、仕えるためでした。サロメです。主は復活されてから40日目に神様の御許へ帰られました。それから聖霊が与えられるペンテコステまでの10日間、彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。(使徒1:14)ペンテコステの日に教会は誕生するのですが、その準備の時に、サロメも加わっていました。
やがてサロメの息子たちは使徒として各地に福音を伝えたのですが、使徒言行録12章です。 そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。息子ヤコブは最初の殉教者となりました。ヨハネはローマ皇帝ドミティアヌスの迫害によってエーゲ海のパトモス島に島流しにされ、後にヨハネの黙示録を書いたと言われます。かつて主が「あなた方は私の杯を飲むことになる。」とおっしゃったのはこのことだったのです。それでは「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と言って、大失敗を犯したサロメは愛する二人の息子の人生をどの様に受け止めたのでしょうか? もちろん厳しい現実に苦しんだことでしょう。この杯を取りのけてくださいと何度も祈ったことでしょう。しかし、彼女はその厳しい現実の向こう側、その向こう側にある主の愛を感じていたのではないでしょうか。主を信じ従う者に与えてくださる永遠の命です。私たちは今、サロメと同じように主の十字架と復活の出来事を知る者です。そこに示された主の愛の中を歩む幸せ者です。そして私たちにも永遠の命が約束されています。まだ洗礼に至っていない方はその大いなる主の愛に招かれています。主がサロメを信じる者へと変えてくださった出来事を見ることで、この説教シリーズ「気概を示す」を閉じたいと思います。主の愛がここにあります。祈りましょう。