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山形六日町教会

2017年6月18日

聖書:雅歌1章1~4節 ヨハネの手紙Ⅰ4章7~21節
「兄弟を愛しなさい」波多野保夫牧師

本日は山本日は山形で活動されています、コーラスグループ・タウベンコールの皆さんとご一緒に献堂103年を感謝する礼拝を守れますことを大変うれしく思っています。後ほど日ごろの練習の成果を披露していただけるとの事で楽しみにしています。最初に礼拝で歌っていただいたのは、この礼拝堂が神様に献げられた100周年記念の時2014年6月15日のことでした。その時タウベンさんは「アメージンググレース」を賛美してくださり、私は「新しく生まれる」このような説教題で、私たちが神様に従う、これは具体的にはイエス・キリストを受け入れて生きるようになることで、全く新しい、神様の愛に包まれた人生を歩むことが出来るのだ。こういったお話をしました。私が3年前のことを覚えているのではなくて記録を調べたので、お忘れでも安心してください。
2回目は2015年6月21日 私はパウロというイエスの弟子がローマの獄中から書いたといわれています、フィリピの信徒への手紙という新約聖書にある手紙から「いつも喜んでいなさい」というお勧めをしました。イエス様の教えを伝え広めることでローマ帝国に逮捕され投獄されていた、これは国家に対する犯罪の容疑ですが、そのような危険な状態にあってこのパウロは「いつも喜んでいなさい」。このような手紙を遠くの教会に書き送ったのです。この手紙は約2000年前に書かれたのですが、実は現代においても真実なのです。私たちの人生は平たんではありません。この中に国家反逆罪の容疑で牢に入られた方はいらっしゃらないと思いますが、そう遠くない過去、戦争の時代には確かに敵の宗教を信じているとの理由で迫害を受けたクリスチャンがいました。そのような時にあってもこの言葉「いつも喜んでいなさい。」は彼らに勇気と希望を与えたのでありました。この時、タウベンさんは 「手のひらのうえのかなしみ」という、やなせたかしさん作詞の歌を歌ってくれました。確かに私たちの人生には大小さまざまな悲しみがあふれています。そして2曲目、これはタウベンさんと会衆がご一緒に歌いました。この曲は次の年も、そして今年もご一緒に歌います。「君は愛されるため生まれた」です。「君は愛されるため生まれた」神様に愛され、そして人に愛されるために私たちは命を授かっているのだ。この思いが、多くの悲しみを乗り越える力を与えてくれる。そしてこれこそがキリスト教の真理なのです。
昨年は6月19日がこの会堂の献堂102年の感謝礼拝でした。説教題は「イエスの祈り」。イエス・キリストが私たち人間の罪を一身に担って、これは私たちの代わりにと言った方が正確でしょう。神様の罰を受けるため十字架にかけられることを知ったうえで、エルサレムに滞在されていた時の祈りです。正にすべての人、これは全世界であり、また全時代に亘って、全ての人を愛する故の十字架の出来事でありました。タウベンコールさんの歌は「雨」という曲と、やなせたかしさんの作詞した「さびしいかしの木」でした。山の上にたった一本立ち尽くす樫木、雲や風に友達になってくれと頼んだけれど、みんなどこかに行ってしまった。年老いた樫木はそれでも立っている、寂しいことに慣れてしまったから。このような歌詞でした。若い時、あるいは現役時代には山の上で威勢を誇り多くの人たちもやって来たことでしょう。忙しさの中にも充実した日々であったに違いありません。しかし、年を取った今はただ一人でその寂しさにもなれてしまったと歌います。これは私たちの人生に伴う、なんとも言いようのない淋しさや悲しみ、ふと立ち止まった時に感じる孤独感を詩人が鋭くとらえたのですそしてこの後で皆で一緒に歌ったのが「君は愛されるため生まれた」。神様に愛され、そして人に愛されるために私たちは命を授かっているのだ。この曲には、かしの木の寂しさを乗り越える力があるのです。
週報に記してありますように、今年は童謡を3曲準備されているようです。楽しみです。その後で今年もみんなで「君は愛されるため生まれた」を歌います。 私たちは皆、神様から愛されている。そして自分を愛し隣人を愛するためにこの命が与えられているのです。後ほど大きな声で歌いたいと思います。

さて、司会の日野長老に読んでいただいた新約聖書ヨハネの手紙Ⅰ4章7節以下ですが  4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。このように始まっています。このヨハネの手紙は、イエス・キリストの弟子の一人であったヨハネが西暦100年ころ、ですからイエス・キリストが十字架にかかり3日目に復活した出来事から70年程後に書かれました。当時、地中海沿岸地方はローマ帝国の支配下にありましたが、教会が誕生して70年程たったこの時代、キリスト教は各地に広まっていましたが、2つの大きな問題を抱えていました。
一つ目は、ローマ帝国による迫害が激しくなってきたこと。皇帝を神として礼拝しないキリスト教徒が増えてきたことは、ローマ帝国にとっての脅威と考えられました。
もう一つは、全てを創られた神を否定する思想です。「悪のはびこる世界を神が創られたのだとしたら、その神はろくな神では無い。」「世の中に悪が存在するのは神様のせいだ。」と言うのです。
実は、この考えは現代においても根強くあります。昨今の新聞紙面には暗い出来事が沢山あります。 「神様はなんでもできるのに、なぜエイと力をふるってこの世の中を良くして下さらないのだろうか?」 さらに、なんでこんなことが私に、あるいはあの素晴らしい人に・・・。その一方で悪い奴が栄えるのか。私たちは神様を裁くこと、神様に有罪判決を下すことは往々にして起こるのではないでしょうか?
先ほどご一緒に賛美しました451番『くすしきみ恵み』は、原題はさきほどご紹介しましたように2014年にタウベンさんが歌って下さった『アメージング・グレース』です。最近では多くの歌手が歌ってヒットしており、「讃美歌にもあるんですか」なんて妙に感心されたりするのですが、神の与えて下さる豊かな恵みを賛美する心を惹かれる歌です。
作詞者のジョン・ニュートンは1725年ロンドンに生まれました。25歳の時に奴隷船の船長になり、その後英国国教会の牧師となって奴隷制度廃止のために働きました。英国では1807年にやっと奴隷貿易廃止法案が成立しましたが、アメリカでの奴隷解放は1865年の南北戦争終結まで待たねばなりませんでした。正義の実現には時間がかかるようです。私たちは奴隷貿易と言うとアフリカの原住民を強制的に連行してアメリカ大陸に連れて行って物として売り渡したと思ってしまいますが、その多くは戦争奴隷と呼ばれアフリカでの部族間紛争に負けた部族であったり、親の借金の形に売られたりして現地で既に奴隷とされていたのだそうです。奴隷商人たちは合法的にその所有者から買い取ったので、彼らに良心の呵責は無かったのだと言われています。
しかし、その残酷さ非情さは赦されるものではありません。21世紀の私たちの目から見ればなぜ神様は残酷な奴隷制度を許されたのだろうと思います。ジョン・ニュートンも当初、奴隷貿易に全く疑問を感じませんでした。しかし、船長として彼らの悲惨な姿を見るにつけ彼の心は開かれ、神に仕える者へそして奴隷反対運動へと向かうことになったのでありました。
アメージング・グレースの一番の歌詞は、「くすしき恵み、われを救い、迷いしこの身も、たちかえりぬ。」この様に歌います。自分が奴隷貿易から糧を得る、そういった人生から救い出して下さった、神様のくすしき恵みを感謝したたえたのです。実はこの曲はニュートンの作詞した5番までに加えて多くの詩で歌われています。その中に次の詩があります。「私たちは、神様を賛美し始めたあの日と全く同じようにあなたへの賛美を歌い続けます。」この歌詞は私が英語を直訳しましたのでそのまま歌うことは出来ませんが、ニュートンの詩に続けてアメリカの奴隷たちが厳しい作業の中で歌っていたそうです。やがてやってくる勝利の日を確信しての歌であったのです。神様は確かに私たち全ての者を愛し続けられています。しかし、その方法は悪を滅ぼし善を助けるということを必ずしも即座にはなさらないようです。時間がかかる場合も結構あるように思われます。今、世界が大変不安定になっていることを私たちは感じます。多くの人が平和が実現することを望み祈ってきました。これは歴史的な事実です。しかし、中には平和になると困る人もいるのが世界の現実です。武器商人などはその典型でしょう。これが現実の人間社会です。
それでは、神様は無力なのでしょうか? そうではありません。神様は私たちに究極の平和、その平和に至る処方箋を提供されています。先ほどお読みした ヨハネの手紙Ⅰ 4章7節以下です。4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。そうです、互いに愛し合うこと。これ以外に本当の平和を実現する処方箋はありません。しかもこの処方箋はタダで出していただいたのではありません。9節以下をお読みします。4:9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。4:11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。「独り子」と言うのは御子イエス・キリストです。悪に引きずられ完全に打ち負かされていた私たち、良いこと・神様に喜ばれることをしようと思っても悪に負けてしまう私たち、神に従うことの出来ない、そのことを聖書は罪と言う言葉で表現します。その私たちの罪の為に、神様は独り子を地上に遣わされ、これがクリスマスの出来事です、十字架での死によって私たちの代わりに罪を負って亡くなり、そしてそのイエス・キリストが復活、これがイースターの出来事です、復活によって罪と恐れの象徴である死から、私たち人間の解放を宣言されたのです。4章11節4:11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。ローマ帝国の迫害の中で、そして異端のはびこる中、すなわち大変苦しい状況に置かれている各地の教会に宛ててヨハネが書き送った手紙です。12節以下をゆっくりお読みしますのでお聞きください。4:12 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。4:13 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。4:14 わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。神様がその独り子をこの世界に送って下さった。クリスマスの出来事です。それは罪にがんじがらめになっている人間を解放し救うためだった。私たち、すなわち教会はその素晴らしい出来事の証人なのです。こう語ります。続けます。4:15 イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。4:17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。裁きの日とは最終的にキリストが全ての悪を滅ぼされる日です。それがいつかは分かりませんが、終末と呼びます。クリスチャンはここに絶対的な希望を持ちます。バチカンのシスティナ礼拝堂の天井にありますミケランジェロの描きました最後の審判は大変に有名ですし、あの奴隷たちがジョン・ニュートンの詩に付け加えて歌いましたアメージング・グレースの5番「私たちは、神様を賛美し始めたあの日と全く同じようにあなたへの賛美を歌い続けます。」この詩が正に終末への希望を歌い、奴隷としての辛い日々の中にあって、なお神への信頼を持ち続けたのでありました。さらに、18節以下をお読みします。4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。4:19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。4:21 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。
最初に旧約聖書の雅歌を読んでいただきました。キリストの生まれる1000年近く前ですから今から3000年程前に書かれました。日本では縄文時代から弥生時代に移る頃でしょうか。調べてみましたら遊佐町から出土した青銅製の刀子(とうす)、これは刃物を研ぐ道具だそうですが、これが中国との交易によってもたらされたのが3000年前だそうです。山形県の歴史の古さを語っています。あらためてお読みすることは致しませんが、実はこれは男女の恋の歌です。人を愛してやまない神との関係を恋愛になぞらえ、またキリストと教会との愛に包まれた関係をあらわしています。神様の愛はこの雅歌の書かれた時代、3000年前も、イエス・キリストの時代、2000年まえも、そして現代においても変わることなく真実なのです。
クリスチャンとは自分が神様に愛されていることを知る人です。ですから、たとえ人生において「手のひらのうえのかなしみ」やるせなさを感じるようなことがあっても、あるいは「さびしいかしの木」のような状況になっても大丈夫なんです。たとえ一時、悲しみや苦しみや恐れがクリスチャンを覆っても大丈夫なのです。なぜなら「愛されるために生まれて来た」ことを知っているからです。そして神の変わることのない愛に気づいたとき「アメージング・グレース」神様のくださる変わることのない愛と恵みを感謝するのです。自分に与えられている神様の愛を知ったクリスチャンは、赤の他人の幸せを祈り続けるお人よしなのです。なぜなら私を愛してやまない神は全ての人をその愛の内に招いていらっしゃるからです。たとえ時間がかかろうとも、世界の本当の平和はこの言葉から生まれるのです。4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。祈りましょう。