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山形六日町教会

2017年1月1日

聖書:歴代誌上16章34節 フィリピの信徒への手紙4章4~7節
「新しい年を迎えて」波多野保夫牧師

新しい年を神様を礼拝することで始まられる、この恵みを主に感謝いたします。今年度はクリスマス礼拝が12月25日になりました。クリスマス礼拝の日にちは12月25日以前で25日に一番近い日曜日と決められていますので、今年度はその一番遅い日となりました。そのせいか新年を迎えました今日の礼拝も、なぜかまだクリスマスの余韻に浸っている、そんな感覚は私だけでありましょうか?豊かなクリスマスの時を与えてくださった主に感謝いたします。
実は歴史的に教会の新年の始まりは1月1日ではありませんでした。ローマ帝国の迫害が終わった313年以降、教会は急速な発成長を遂げましたが、4世紀ごろから問題が起こり、ついに1054年に東方教会と西方教会に分裂してしまいました。教理的には聖霊がどのように生まれたのか、その理解の違いが原因ですが、東ローマ帝国とフランク王国に結びついた権力闘争の面もあったようです。東方教会には、ギリシャ正教やルーマニア正教、ロシア正教などの正教会が属し、ここでは一年の始まりは9月1日です。西方教会は当初ローマカトリック教会だけでしたが、こちらではアドベント第一週が一年の始まりとされます。
私たちプロテスタント教会は1517年、これは今年でちょうど500年を迎えますが、宗教改革によってカトリック教会を離れましたものの、アドベントの始まりを新年としています。教会暦を重んじる聖公会の教会では、1月1日を主イエスがイエスと命名された聖日、1月6日を顕現日、これは占星術の学者たちが幼子を礼拝した日、すなわち異邦人に主イエスがその姿を最初に現された日として大切にしています。これらの日付は聖書に具体的な記述はあるわけではありませんが、神様の愛の業を日常生活の中で深く覚え、感謝の思いを深くする一つの方法なのであります。

先ほど歴代誌上16章34節を口語訳聖書で読んでいただきました。これは今年度の教会主題聖句として週報の表紙に掲載されているものです。ちなみに礼拝で用いています新共同訳聖書では16:34 恵み深い主に感謝せよ 慈しみはとこしえに。となっております。長さが随分違いますが大丈夫です。どちらの翻訳も内容的にはきちんとギリシャ語の原典を訳し出しています。歴代誌16章23節から26節を見ていきましょう。口語訳聖書を週報の右ページに引用しておきましたので、ご覧になって下さい。お読みします。
6:23全地よ、主に向かって歌え。日ごとにその救を宣べ伝えよ。24もろもろの国の中にその栄光をあらわし、もろもろの民の中にくすしきみわざをあらわせ。25主は大いなるかたにいまして、いとほめたたうべき者、もろもろの神にまさって、恐るべき者だからである。26もろもろの民のすべての神はむなしい。しかし主は天を造られた。サウル王亡き後、紀元前1000年にダビデは全イスラエルの王となりました。その彼がまず行ったこと、それは神の箱をエルサレムへと運びいれることでした。「神の箱」はまた「契約の箱」「掟の箱」「主の箱」など様々に呼ばれますが、ヘブライ人の手紙9章4節には、後に神殿の至聖所に置かれた「契約の箱」について次のように記されています。9:4 そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板 これは十戒が刻まれた板ですが、これらが収められていたとあります。神殿にこの「契約の箱」を治めるのはソロモン王が壮大なエルサレム神殿を献げた後になりますから、この時ダビデ王は天幕に契約の箱を安置し、祭司たちに命じて礼拝をおこなったのです。彼を守り育て恵みを与えて下さる神を礼拝すること。その為に当時神様がいらっしゃるところ、あるいは神様がご自身の存在を示される聖なるものとされていました「契約の箱」を苦労の末にエルサレムに迎えいれ、礼拝を献げることはダビデ王にとって、また全イスラエルの民にとって最大の喜びだったのです。
6:23全地よ、主に向かって歌え。日ごとにその救を宣べ伝えよ。24もろもろの国の中にその栄光をあらわし、もろもろの民の中にくすしきみわざをあらわせ。25主は大いなるかたにいまして、いとほめたたうべき者、もろもろの神にまさって、恐るべき者だからである。これは、「契約の箱」すなわち神様のみ許での新しい生活が始まる、その喜びを歌っているのです。本日、一年の初めの日に教会に集い、礼拝をもってこの年の歩みを始める私たちに相応しい聖書箇所ではないでしょうか。
27節以下をお読みします。27誉と威厳とはそのみ前にあり、力と喜びとはその聖所にある。28もろもろの民のやからよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。29そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。供え物を携えて主のみ前にきたれ。聖なる装いをして主を拝め。29節 そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。供え物を携えて主のみ前にきたれ。聖なる装いをして主を拝め。私たちはクリスマスの日に、一人子をこの世に送って下さった神、しかもそのご計画は、私たちの罪によって断たれた神様との正しい関係を回復するために、御子を十字架に架けることでした。そこまでの徹底した愛を示して下さっている神様の栄光をたたます。これが私たちの礼拝です。私たちは今、供え物を携えて主のみ前にきています。供え物とはお金だけではありません。労働であったり、時間であったり、与えられた才能や知恵や賜物を供え物とするのです。自分の大切なものを真心をもって献げる時、神様はその全てを喜んでくださるのです。
30節以下です。30全地よ、そのみ前におののけ。世界は堅く立って、動かされることはない。31天は喜び、地はたのしみ、もろもろの国民の中に言え、「主は王であられる」と。32海とその中に満つるものとは鳴りどよめき、田畑とその中のすべての物は喜べ。説明は不要でしょう。神様が共にいて下さる、その喜びを最大限に歌っています。
新約聖書フィリピの信徒への手紙4章4節5節です。4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。この手紙は使徒パウロが紀元60年台前半にローマの獄中から、出来て間もないフィリピの教会に書き送ったと言われています。彼はこの時、獄中ではかなりの自由が与えられていたものの、生きて再び牢獄を出ることは無いと理解していたはずです。しかし、フィリピの教会に送る言葉は、「常に喜びなさい。」なのです。フィリピの信徒への手紙は「喜びの手紙」と呼ばれているのです。6節 4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。「思い煩い」と「備えをなす」こととは違います。心配事を作る名人というのがおりまして、心配事が無いとそれが心配だと言った感じです。実際、心配は心配を呼び、どんどんとらせん階段を下りていくように深みにはまって行きます。
主イエスはおっしゃいます。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6:34) 思い悩みの泥沼にはまるとしたらそれはもはや、不信仰のそしりをまぬかれないでしょう。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 これが主の諭しなのです。
では「備え」はどうでしょうか。アドベント第2週に「10人のおとめ」の譬えを聞きました。5人の賢いおとめは、油の「備え」を持っていたのです。彼女たちは起こりうる悪い状態、この場合は花婿の到着が遅れることを想定して備えていたわけです。
残念なことですが昨年もいろいろな事故が起きました。人災と呼べるような事故の場合、テレビで最高責任者の方が、「想定外でした。」といいわけしつつ頭を下げている姿をしばしば見たものです。「想定外」との言い訳は、ほとんどの場合「怠慢」という言葉が当てはまるのではないでしょうか。主を信頼することで「思い煩い悩むこと」からは解放されます。それでは、主を信頼すれば「備え」は必要ないのでしょうか。俗に言う「神だのみ」すなわち「何もせずに責任を神様に押し付ける」ことと「主を信頼すること」とは全く別です。「良き備え」ができるように主に祈り、そして最善を尽くすのが「主を信頼する」ことなのです。 私たち信仰者の上にも災害や事件は降りかかります。そんな時「思い悩む」は「うろたえる」と、「備える」は「冷静な状況判断」とそれぞれ通じるのではないでしょうか。5人の賢いおとめが準備し備えた油、これは艱難の時にも耐える主イエス・キリストへの信頼、すなわち信仰です。この油は災害の時にも、そして花婿が再びやってくる日、すべてを裁き悪を滅ぼされる終末の日にもその備えとして有効なのです。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。これはローマの信徒への手紙10章13節のみ言葉です。

今年、山形六日町教会は130年の記念の年に当たりますが、その歩みは平坦ではありませんでした。諸先輩たちは祈り行動することで多くの危機を克服して来ました。1902年には台風による旧会堂の倒壊にあいました。1911年には山形市の大火により会堂が消失しましたが、1914年現在の会堂を献堂。1926年にはミッションから受けていた多額の援助を断り、「自給独立」を決定して、日本基督教会山形講義所から日本基督教会山形教会になりました。戦時中のキリスト教弾圧、さらに戦後の会堂修復工事。教会創立100周年記念事業としての会堂の大改修。千歳幼稚園の学校法人化、そして時代の要請に答える千歳認定こども園への発展。複数回に及ぶ無牧の時代などなど。これらを篤い祈りをもって行動することで乗り越えて来た歴史があります。
諸先輩の祈りを聞き届けてくださった主を賛美したいと思います。私たち山形六日町教会はこの伝統を受け継いでいる教会です。創立130周年の記念の時を迎えます年の元旦礼拝で主のご計画を賛美したいと思います。そして終末の日が来るまで山形の地に主の福音を述べ伝える先輩たちの志を受け継ぎたいと思います。6節7節です。4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
歴代誌上16章35節36節に戻ります。35また言え、「われわれの救の神よ、われわれを救い、もろもろの国民の中からわれわれを集めてお救いください。そうすればあなたの聖なるみ名に感謝し、あなたの誉を誇るでしょう。36イスラエルの神、主は、とこしえからとこしえまでほむべきかな」と。その時すべての民は「アァメン」と言って主をほめたたえた。イスラエルの神とあります。これは旧約聖書の時代ですから神がまずイスラエルの民を選んで神の民となさったからです。現代において選ばれている民、それは聖霊によって洗礼を授けていただいた教会員、そしてその恵みへと導かれている求道者の方です。
2017年1月1日の言葉に翻訳してみましょう。「われわれの救の神よ、われわれを救い、もろもろの国民の中からわれわれを集めて救いを与えて下さいました。あるいは多いなる救いへと招いてくださっています。ですから私たちはあなたの聖なるみ名に感謝し、あなたの誉を誇るのです。私たちの神、主は、とこしえからとこしえまでほむべきかたなのです。」私たちは「アァメン、その通りです」と言って主をほめたたえます。
最後に歴代誌上16章34節をご一緒に読みましょう。週報の表紙、もしくは右ページに下線を引いて記してあります。歴代誌上16章34節 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。祈りましょう。